アナクシマンドロスは神から脱却した<2>~無限なるもの ト・アペイロン~

自然界をみると、熱いものと冷たいもの、乾いたものと湿ったものなどのあいだの対立があり、抗争がある。相互に他者の領域を否定し奪おうという戦いである。火が勝ち水が失くなるか、水が勝ち火が消えるかという勢力争いであり、相互に他者の領域を否定し奪おうという戦いである。このような戦いは、生物についてもいえる。そのことを通して、万物の相互転化、生成・消滅の過程がたえることなく進展していく。どんな生物も、他の生物の存立を刻々において否定することなしには、すなわち、その存在領域を侵犯することなしには、みずからの存立を維持することができない。人間だけは、その定めを免れえたかのようにみえるが、大きな自然のなかにあって、決してそうではない。以上のことを厳粛な事実として受け止める必要があろう8a)(岩崎充胤 著『ギリシア・ポリス社会の哲学』1994)

κατά τό χρεών διδόναι γάρ αύτά δίκην καί τίσιν άλλήλοις τής άδικίας

ビュフォン、ラマルクも[驕れる人間]に警告したかったのである。

3.進化論は真か? ~変化を伴う継承 descent with modification~

3ー1.生命誕生と進化

アナクシマンドロスの評価を分けるひとつに、生物の進化(生命の起源、環境への適応)に触れるような話がある。アナクシマンドロスは2つのことを述べている。生命の誕生他の動物種から人種への変化(進化)である。以下に生命の起源と進化説らしきものを記す。

「泥の中で生物が生まれ、しだいに発達して植物と動物になり(これを記した文献はない)、最後に長い年月を経て人間ができた。人間ははじめ、水中にすむ魚のような形のものであったが、のちに魚の皮をぬいで乾いた陸上に住むようになった(乾燥の大地に適応した)17b) 21), 22a)と語られている。これについて、ノルデンショルトは「民間伝承による考え方である」22a)と述べている(人間発生説は原住土民の間に伝えられていた21)、或るひとはこれはすべて神々を語った名残として扱っている6e))。また、「形態変化はギリシア神話やその他の国々の神話にもある」23)・・・アナクシマンドロスの語ったことは、当時普通に語られていた神話を述べたもので、生物が海から現れたことや魚から人になることはありふれた発想であると。その民間伝承、神話とは何か?半人半漁の男のトリトン、形態変化はネ―レウスやプロテウスのことか?ド・マイエが、人間が海洋起源であったと語る『テリアメド』(1748)の中で「ホメロスもオケアノス(大洋)が神々の父であり、テティス(海)が母であると、つまり神々が海から生まれたと述べていたではありませんか。神話の中にも真実はその痕跡を残しているのです。神話物語が私達に示しているのは、(命あるものすべて)もとは海から現れたに違いないということです」1a)とあるが、このようなことを指しているのか。

ミシェルは「最初の人類が魚の形をとって現れた」ことが、「進化についての現在(・・)()われわれの見方を予見したものではない」23)と断じているが、いうまでもなく現在の進化の意味合いとは異なっている。しかし、この時代において生物の起源や人間の由来を思案した、という歴史的な意義に価値があるのだ。進化について、ひとこと言うと、例えばボルバキアのゲノム断片がアズキゾウムシの染色体に入って遺伝子の水平転移を生じさせる(2002)24)という、新たな発見とともに進化の説は将来的に劇的に変わる可能性もある。遺伝子は親子の垂直方向のみでなく別種の水平方向にも伝わり複雑に絡み合いながら生じている25), 26)。そのため生物の系統関係が単純な樹(ヘッケルの大クオーク)で表現できなくなってきているのだ。これまで否定されてきた獲得形質27)の遺伝、いわゆるエピジェネティックによる遺伝も明らかになりつつあり28)真の(・・)生物進化(変化)が解明されるかもしれない。

生命誕生と人の起源についての伝承をみてみると、ヒュッポリトスは「動物たちは湿ったものが太陽によって蒸発することから生じた。他方、人間は最初に生じたときには、別の動物、すなわち魚に似ていたと言う(生物は、太陽によって蒸発された水分から生じた。はじめは人間は、ほかの生物、すなわち魚に似ていた)6e)20a)と記している。アエティオスによると、「最初の生物は、(とげ)のある「外皮」を(まと)った姿で湿ったもの(ίλύϛ:泥土)7c)の中で生まれ、年齢を経るにつれて、より乾いたところへ進み出ていったが、「外皮」が破れると、わずかの間しか生存できなかった(最初の生物は、湿りのなかに生まれ、刺のある膜にとりまかれた。年をとると乾いたところへ這い出した。膜が破られると、わずかの期間、生きながらえた6e)(陸上生活をした)7c))」3g)。ケンソリヌスの記録では「熱せられた水および土の中から、魚あるいは魚に似た動物が発生したと考えた。そして、人間は、この動物たちの体内で生まれ、成長するまで、内部にかくまわれて養育されたのであり、それが分裂してのちに、男性と女性が現れてはじめて自生できるようになった」3h)、プルタルコスでは「人間は、(ふか)や鮫のように、魚の胎内で生まれ、育てられて、みずからを守り切ることができるようになってから、現われ出て陸へ上がった(ひとはほかの種類の生物から生まれた。それは他の生物はすぐさま自活するが、人間だけは長期間の養育が必要だからである:擬プルタルコス)」6e), 7c)とある。

これについて、ファリントンは「魚は、生命の形態の一つとしては、陸棲動物より先に生存していたものであり、したがって人間も、もとは魚の一種であったが、乾いた土地が出源するに至って、或る種の魚は陸上での生活に順応するようになった」19)と考えたのではと推察している。バーネットは、「アナクシマンドロスは、外界に適用し、最適なものが生き残るということはどういうことかについて、或る着想を抱いたのであり、そしてより高度な哺乳動物は、動物の原初的形態を表しえないと解したのである。かれは海を観て、哺乳動物に最も近似している魚を当然のことながら選んだ。(鮫が子供を養う方法についての観察はアリストテレスの貴重な資料となったと推測)」6e)と、少し踏み込み過ぎともいえるコメントをしている。確かに、アリストテレスは鮫の生態(卵生、胎生や卵胎生)や体内構造について、きわめて詳細に記述している(「解剖学」の書は失われている)29a)

ふつうに考えると、人間(哺乳類)の子は保護し食事を与えないといけない。また幼少期は長く、自分で生きていくまでには時間がかかる。‘(ふか)や鮫のように、魚の体内で生まれ育ち’とあるが、魚類の多くは卵や()稚魚(ちぎょ)における保護は一般的ではないらしい(硬骨魚でおよそ24%の種でみられるのみ)30a)。ここで、鱶や鮫の例を示しているにはそれなりの理由がある。魚類における子の保護の様式は「見張り型」(卵を岩などに産みつけて、そこにとどまり孵化するまで保護)、「体外運搬型」(産卵した卵を親の体に付着、あるいは口などに入れて保護)、そして「体内運搬型」に分けられる30a)。鱶や鮫(軟骨魚類)の保護様式は「体内運搬型」で、交尾後雌の体内で一定期間育てられてから産卵あるいは出産がおこなわれる(雌親の体内で孵化した仔稚魚が栄養を与えられる種もいる)30a)。このように人間の子育てに似ている((ふか)の字はこどもを養うからとの説)。バーネットのいうように、身近な生物(脊椎動物)で原始的なものとして「魚」を考え、さらにその知識から鮫などを例に挙げたと推測するのはありえないことではない。

アナクシマンドロスの<生物は太陽によって蒸発した水、あるいは熱せられた水や泥(土)、湿ったものから誕生する>3h), 20a)は、タレスのところでも書いたが、現在の説のひとつである<熱水噴出孔における生命誕生>を想起させる。生命のキーワードは水、火、土。空気。師匠タレスの説くアルケーとしてのは外せない。また、エネルギーとしての熱()がないとマイナス273℃の中で凍りついて生命が誕生するとは考えにくい。(泥:無機物)、は勝手な想像だが、構造的な骨格、あるいは結晶を産みだすときに働く諸力としての役割(機械的な諸法則31)のようなもの)を担う。水の中(泥)に気息(空気)があり、流動体(濃い水)が熱せられると魂(anima:プシュケー)が取り込められ、生命となる32a)。とりあえず、生命誕生について思案し唱えたことは評価したい。

3-2.なぜヒトの起源は‘さかな’か? 🐡🐡🐟🐟👫

人間の起源をヒトではないと考えたのは恐るべき思考であり、のような(・・・・)生物から陸上生物へと変化してきたという空想的な進化を見抜いたのであれば、エンペドクレス、エピクロス、ルクレティウスをはじめ、13世紀のアル・トゥーシー「新たな特徴をより速く獲得できる生物ほど、より変化しやすい。その結果、ほかの生物よりも有利な立場に立つ。身体の変化は、体内や体外における相互の影響によって起こる」33a)、14世紀のイブン・ハルドゥーン「動物種が数を増やし、創造の過程によって最終的に、思考して思案できる人間が誕生する。人間のすぐ下の地位にあるサルは思案して思考する段階には達していない。すでに存在するものが別なものに変化する(概略)」33a)らのペルシャの学者、さらにウォーレスやダーウィンをしのぐセレンディピティである。

しかし、である。この時代でも両生(棲)類(有尾目:サンショウウオ、イモリ科も含む、無足目:アシナシイモリ、無尾目:カエル)は、いた。一般のカエルは、水中や水辺で卵を産む。孵化して魚のようなオタマジャクシになる。後脚、前脚が生えて陸に上がる。この様子をみていると、魚のような水生の生物が陸に上がるために変化したためではないのか?と目的論的に思い浮かべるのは、それほどハードルは高くない。カエルがこのように変態するのは普通にみられ、水から陸に上がっていくのを見ていると、陸にいる生物はこのような過程を辿ったと想像することは難しくもない。はじめは魚のような生き物に手足がはえて陸を歩く別の生物になる、この現実が驚異である(注:無足目:アシナシイモリには脚がない)。

しかしながら、不思議なことにアリストテレスの書では、「両生類のことは念頭においてないらしい」34a)と注釈されているように、両生類の生態についてはあまりでてこない。カエルについては「水生動物には海のものと川のものと湖のものとカエルやイモリのように沼のものがある29b)。陸上動物で空気を取り入れるもので水中から食物を得るものは沢山あり、或るものは水を離れては生きられぬほどで、カエルなどがそうである。陸地またはその付近に子を産んで育て上げるが、水中で時を過ごす34b)」、などと簡単な記載があるだけである。もっとも両生類の特徴が分かってきたのは1825年以降とされ(リンネの分類には出ている)35a)、ラマルクの『動物哲学』(1809年)には、まだ両生類の分類がない。後述するが日本のオオサンショウウオも両生類(両棲類)の分類に貢献している。アリストテレスの「足と尾で泳ぎ、尾はナマズに似てひれがなくて、ぶよぶよとした平たい尾があり、水陸両生であるが、日に当たるとひからびて死ぬ」34c)および「魚はすべて足をもたない。足を持っているもののうち、ただ一ついわゆる蝌蚪(かと)(オタマジャクシ)のみが(えら)を持っている」36a)にでてくる(えら)のある生物は、従来オタマジャクシ(蝌蚪)とされてきたが、トンプソンにより『イモリ』と解釈されている34c)。「えらを持っていながら陸上へ出てきて食物を取るものの例は唯一つ、『イモリ』だけしか観察されていない。肺がなくてえらがあるのに、四足であって、陸上を歩くように出来ている(概略)」34d)

イモリ(サンショウウオも)は前脚から生えるので、後脚と前脚の生え方について記載されているとオタマジャクシとの区別ができるのだが。なので、アリストテレスの書には、オタマジャクシ(γύρινος)についての記載がない(動物誌の「オタマジャクシ状」の記載は疑問視されている)29c)。従って、オタマジャクシからカエルの変態(生物学にこの概念を導入したのはゲーテ29d))は書かれていないことになる。その辺にいる生物で水生から陸生へと変態を遂げるパラダイムシフトをなぜ見過ごしてしまうのか不思議である。意図的に削除したとも考えうるが誰も分かりえない。一方で、「或る動物は水の中で生活し(ボウフラ)29e)、つぎに他の形に変わって水の外で生活するが、これはカの場合」29d)と、変態することは知っているようだが、『蚊』についてである。このようにみると、まさかと思うがアナクシマンドロスはオタマジャクシの変態を知らなかった可能性もある、が。きっとオタマジャクシからカエルになる様子をみて生物は水から陸の環境に順応し、適応してきたという、いわゆる進化論的なインスピレーションを得た、と勝手に推測する。

アナクシマンドロスに教わったとされる6g)クセノファネス(前570-470頃)は、陸地や山岳においてみられる(新生代軟体動物の殻が採集されるマルタ島やシラクサと言われる)36)貝殻や海産の化石について、太古は泥に覆われていたときにこれらが生まれて、泥の中で乾燥して化石となったと推測している19b)。また、大地が海へと沈み、泥状かするたびに人類は滅び、再び生成し、これはすべての世界で起きうるとしている。この時代に化石というものを生物の痕跡であると科学的に考察したことは驚異である。アナクシマンドロスが化石についてどう思っていたかは分からないが、アレクサンドロスも海が後退しており、干しあがることは想像でき、泥の中からの生命発生への思い付き7d)の一助となった可能性はある。

3ー3.<ひまつぶし>・日本のオオサンショウウオは『両生類』の分類に貢献した

ここで、アナクシマンドロスが魚から陸上生物になったことを思い描くのに重要と思われる両生類をみてみたい。

両生類(両棲類)は魚類に近く、爬虫類は鳥類や哺乳類に近い38a)。ショイヒツァー(Johan Jakob Scheuchzer)は、1726年にドイツのボーデン岬湖畔のエニンゲン(Öhningen: Oeningen)の地層(中新世)39)から発見した化石を‘ノアの洪水で死んだ罪深い人間の化石’35b), 40a)と考え、三名法で『ホモ・デルブィイ・テスティイ(Homo diluvii testis(大洪水を目撃した人)』と名付けた34b)。その後、この“ノアの箱舟に乗り損ねた人類の化石”37b)は、1811年キュヴィエによりサンショウウオの骨であることが明らかにされ34c), 39a)、『化石骨の研究』(第2版:1821-1824)で両生類のオオサンショウウオの仲間として「アンドリウス・ショイヒツェリ(Andrias scheuchzeri)」35b)に変更された。八杉竜一 氏は『進化論の歴史』の中でこれを「魚竜」と誤って記している22b)。魚竜は絶滅した海生の爬虫類である。時同じくしてイギリスで発見された正体不明の化石動物について、魚類か爬虫類(両生類)かの議論があり、1817年に魚竜(爬虫類)と報告された話題があった35a)、ことを副える。

シーボルトは江戸へ向かう途中の1826年3月27日(鈴鹿の阪之下(坂の下):現亀山市)41に同行の湊長安42)(秦?43a))が鈴鹿山中の渓流から採集した鯤魚(こんぎょ)42)(大山椒魚:オオサンショウウオ(San-sjo-no-iwo:別名:ハンザキなど: Andrias japonicus)に狂喜したとある43a)。これについて、シーボルトはオランダのライデン博物館長テミンク(Temminck)宛の手紙の中で「サンショウウオTriton giganteusは私が日本で発見した最大の種として認識したいと思います。この種類はアメリカ産のTr. giganteusと厳密に比較対照されなければなりません。フンボルトの幼形成熟体(Axolotl:アホロートル)について、ある程度の解明が見出せるかも知れません」43b)と記している。シーボルトによって1829年43c)に雌雄2匹ずつの生きた日本のオオサンショウウオがヨーロッパに持ち込まれた(1930年ライデン博物館へ運ばれた時には雄1匹のみ生存)40b)。北アメリカのTriton giganteusに近いと考えてテミンクはT. japonicus(1836年:Table 1の1837年は誤記?)44)としたが、チューディ(Tschudi)は1837年これにMegalobatrachusとの属名を与えた(同書でショイヒツァーの化石にはAndrias の属名を与えている)44)。テミンクは『Funa Japonica』(日本動物誌)で、Megalobatrachus japonicusと表記している43a)(1838.5以後43d))。なお、その後Westphal(1958)によりAndrias scheuchzeri japonicus(日本産)とされたが、Estes(1981)により現在A. japonicusとなっている44)。これらの学名の変遷は複雑なので各自確認を。

水中から陸地へ向かう生物の行動は、湿から乾への大きな一歩である。陸に上がる前に、生体のある部分が機能的に変化してきたのか(手足(四肢)ができてきた)、陸に上がってから、もともとそのような機能、潜在的な部分があって、それが変化する中で適応してきたためなのか。これについては、四肢動物の祖先ユーステノプテロン(Eusthenopteron:魚類((にく)()類))やパンデリクティス(Panderichthys:魚類((にく)()類))のヒレには骨でできた軸が既に備わっていて44)、続くティクターリク(Tiktaarik:魚類((にく)()類))やアカントステガ(Acanthostega:両生類)の化石から、海から陸に住むようになってから(あし)が現れたのではなく水中で肢の機能が発達した45), 46)(ティックターリクは「後ろひれ)」に後ろ肢の機能が最初から備わっていた)47とされる。つまり、陸に上がるための準備ができていたことになる。また、驚くことにアカントステガには、なぜか8本の指がある45), 46)

注):足首から先の部分、:足首から付け根まで、:足・脚を含めた胴体からの突起の総称45)

さて、鮫の卵胎生について詳細な観察をしていたと推察される6e)アナクシマンドロスであるから、脊椎動物の卵からの胚発生を目にすると、ヘッケル(個体発生過程を系統進化になぞらえる)48)、ベーア(Von Baer;動物の発生には、門を通じて共有された「型」があり、それが個体発生過程の器官発生期に現れる;最も一般的な特徴が先に現われ、より特殊な特徴が後期に現われる)48)、ハックスレイ(間違いなく、人間の胚の起源の様子、発達の初期段階は下等の動物と同じである。また、人間は類人猿に近い)49)、ダーウィン(胚自体は、発生のごく初期の段階では、脊椎動物界の他のどんな種類の胚とも区別がつかない)50)のように生物の共通性(類似性、一様性)に関心がいく。動物の体の基本となっている背骨、内臓、目・鼻・口も、なんだか共通である。この時代であっても卵から魚のような形をした幼生から次第にそれぞれの生物に変わっていくことを知ったとなれば、魚のような生き物からカエルのように陸に上がり、やがて人になった、と思い描くのは、地球が浮かんでいると唱えた思考回路からは容易であったはずだ。また、魚と言ってもイルカ(哺乳類)にまつわる話も多く知られており、人間のような愛情や優れた知恵のある話を聞いて34e)魚と人を結びつけるのもそれほど壁のある話ではない。と思うのはこじつけ過ぎかもしれない。が。

ちなみに、類人猿が胎児化することによってヒトが生じたという「ボルクの胎児化説」(ヒトは胎児化したサル)がある51)。ヒトはチンパンジーなどの子供に似ているのだ。ウーム。鏡を見て説でよかったと思うのは、どっちだろうか。

4.ヘーゲルはアナクシマンドロスにからむ

4-1.ヘーゲルとゲーテと進化

ヘーゲル(1770-1831)は「無限なるものがその分裂に於て如何にして(たい)(りつ)を定立するかという問題に(かん)しては、彼も亦タレスと同様濃厚(・・)稀薄(・・)なる量的區別(くべつ)の規定を採つたやうに見える。後人は無限なるものからの分離の過程を進化であるとしてゐる、すなわちアナクシマンドロスは人間を魚から進化したものとなし、水棲から陸棲になつたものとなすといふ。進化といふことは又近世に於ても唱へられる。それは時間上に於ける單なる繼起(けいき)であり、一つの形式である。人々は往々それで以て前人未踏の卓見をなしたと考へる。ところが其處(そこ)には何等の必然性、何等の思想もない、否、槪念の片鱗さへもないのである52a)(長谷川 宏 訳; 後人によると、無限なるものからの分離の過程は発生と名づけられて、アナクシマンドロスは人間を魚から生成させ、水から陸へと発生させた、といわれる。発生という言葉は近年も耳にしますが、たんに順序をあらわすだけの形式にすぎないのに、それでなにかすばらしいことをいった気になっているものが少なくない)53a)」と峻烈なお言葉を浴びせている。(武市 氏は『Hervorgehen』54a)を『進化』と訳しているが、さすがにこれは飛躍しすぎなのか。ドイツ語では進化の意味として「Entwicklung」を使うことが多い55)

これをどう解釈するか、浅学の❛おきな❜にとっては困難であるが、正解はないので勝手に考える。ひとつには、ヘーゲルが「私はあなたの子どもの一人であると名乗ってもよい」56a)と、不気味さを漂わせる手紙を書いたほど慕っていた?ゲーテとの関係がありそうだ。ゲーテ著『植物変態論』(1790)における「植物はさまざまの方法で生殖するが、それらの方法はただ一つの方法の変容とみなすことができる。われわれは主に、生殖や、一つの器官が他の器官から展開することによって起こる生長(継続)をみてきた。これらの諸器官は外形の同一性から最大の不相似性にいたるまで変化するが、内的には潜在的同一性をもっている。発芽からの生長は無限に続くことはなく、段階的に頂点に達して(栄養成長から生殖生長へ向かう)、種子による生殖を引き起こす(概略)」57a), 58b)の着想を、ヘーゲルは『自然哲学』において「プロセスは単純な― 『地中への植えつけ』(種が地に播かれる)や成長作用や根、茎、枝、及び葉、花、さらに種子の産出である。胚芽の展開は、はじめ(、、、、)は単なる生長であり、単なる増加である。胚芽はそれ自体、すでに全植物体である。それは小さな樹木などである。諸部分は完全に形成されていて、大きくなるだけ、形式的な(同じことの)繰返し、硬くなる(堅牢化を経る)だけなのである。というのは、生成すべきものは既に存在している(・・・・・・)からである。言い換えれば、生成作用というのは、単に表面的な運動でしかない。しかし生成作用は同様に質的な分節化と形態化であり、本質的なプロセスである」56b), 59a)と記した。

なんとも前成説と後成説の含蓄あるプロセスであるが、ヘーゲルは、アナクシマンドロスの魚から人間に至る生成(展開)、水棲から陸棲に変化(変態)しても、それは植物の一生と同じプロセスを述べているようであるが、そこには構造的変化(後成)や同一性(前成)、その仕組みについての論がない、といっているように思える。

ちなみに、ヘーゲルのゲーテへの恋慕の傾倒は、『自然哲学』に書かれている「精神的な紐帯(ein geistiges Band)」59b)は『ファウスト』から引用59c)、あるいはゲーテがニュートン理論の暴露57b)、「『プリズムによる白光のスペクトルへの分解』を攻撃して、色彩は光と闇との関係から理解すべき」60a)についても、ヘーゲルも一緒になってニュートンの光学を非難したことにもみられる60a)。ヘーゲルよ、大丈夫か?

4-2.ヘーゲルの時代は進化の話題が百花繚乱

この時代、18世紀にはモーペルテュイ「人間と動物の起源」(1745年;遺伝は雌雄からの粒子的要素の結合による)22c)および「自然の体系」(1751:変異による種の分化)22c)、ビュフォンの「博物誌」(1753; ロバはウマの科で、サルは人間の退化したもので同じ科でおのおの単一の系統から生じた)22d)エラズマス・ダーウィン「ズーノミア」(1794-96)・「自然の殿堂」(1803)(生命は海から生じて、水生から両生、陸生のものへと進んできた。人間はサルのある種属から発達)22e) 、ボネはアブラムシの単為生殖から、すべての個体は最初から神によって作られ定められていると考え(前成説)、「有機体論考」(1762)において「生物学に『進化』という言葉を導入した(進化;巻物を広げると、すでに神によって書かれた事柄が現れてくるという意味)」33b)突然ながら最近の話題で、マウスの雄の細胞から卵細胞を形成させて受精により子を作ることができたとの報道があった(2023)61)。これは雄(男)だけの世界が成りたつのか‼と思ったが、ホムンクルスでない限り雌が必要だ。

さらに、ラマルク「動物哲学」(1809年;環境による種の変化)27)鎌田柳泓「心学奥しんがくおくかけはし」(1818年;生物みな一種よりして散じて万種となる)62)など、生物やヒトの起源、他の生物から別な生物へ変わり行く、種の変化という、進化の論は世に現わされている。また、カント「判断力批判」(1790)では「地球上の有機体の全体が共通の祖先をもつ。すべての種が人間を頂点とする階層秩序をなす。種が形成されると同一性が保たれるが、種の限界を超えない変化はありうる(概略)」9b)など、を述べている。

ヘーゲルはこのような生物論を耳にしていた(ビュフォンの名を挙げていることから推測)52a)ことを勘案すると、アナクシマンドロスを咎めているのは、{人は魚でした。水から陸に上がりました}ということではなく、無限からの出現であり、それは対立(競争)の無い直線的連続性である。生物の在りよう(・・・・)をみたときには、魚を起源として人間が現れた、ということについては疑念をいだいているものの、「出現」という言葉で表し、水から陸への展開を無視することなく記述していることを考えると、その生物の方向性については特段の意見はないものの(個人の想像であるから)、その根拠が軽薄なこと(著作が失われているので仕方ない)、その科学的思想(なぜそうであるのか)の貧困さをただ・・非難しているようだ。・・・みせている。裏返すと、この例を引き出して安心するためである。後で述べるが、アナクシマンドロスの無限からの出現に蓋をするためである。

ささいなことではあるが、ヘーゲルは「Anaximander lasse den Menschen aus einem Fisch werden」54)(人間を魚にさせた)として、「魚のような(・・・・)生き物」20a)からではなく、‘魚から’直接人間になったような印象を与えている。まあ、これはド・マイエの影響かもしれないが(人間は魚であったとして、人魚の話を語っている。また、他の動物もその原形が魚にあり、類似の魚からその動物に変化したように書かれている)1e)。前述したが、アナクシマンドロスは、人のこどもは保護されなければならなかった、そのためには今あるヒトの姿として出現してきたのではなく、陸上に生まれる前の段階があり、はじめは魚のような生き物の胎内で育てられる必要があったはずである、と考えたのである。

5.ト・アペイロン<Τό ἄπειρον>(前編1.ヨーロッパ思想最古の言葉も参考に)

5-1.無限とは

アナクシマンドロスは、タレスのいう、万物の根源は水であることについて「水のような一面的な性質をもつ一つの物質を優越せしめると、火や地などのように、異なって構成されている物質の存在を成立せしめた諸々の性質を決して生じさせないという論理的な考慮から反対した」5b)。平たく言うと、この世の全てのものはいろいろなものからできていて、或るもののみからできてきているのではないと。しかし、師匠に異を唱えるとは、忖度であふれ、もの言えぬ国民性に進むべき途を授けてくれる、啓示になりそうだ。吠える犬は嫌われ、懐く犬は好かれる。

では、すべてのものの起源とは何か?イェーガーは「個々の如何なる事物とも等しくなかった或る何ものかのみが世界の始源として考慮され、そのものから事物は生じ得たのである。だからこの或るもののもつ特色は、それがそれ自身限りないということであらねばならなかった。そこで、この点からそのものにアペイロン(無限者、無限なもの)という名称を与えた」5b)としている。

諸事物の元のもの(始原:アルケー)は、無からの創造ではなく、無限の素材から万物が生成する6f)。対立するものどうしが、一方を占有するのではなく、時とともに移りゆく様、基本要素(ストイケオン:水、火、土、空気(霧))の相互の転化の考察から、アナクシマンドロスは異なる基体3i), 8b), 63a)を想起したようだ。「一つのもののうちに反対的性質のものどもが含まれていて、これらがこの一つのものから分離して出てくる;無限なものから『寒いもの』と『熱いもの』が分離して出てきて、これから万物が生じる」63b), 63c), と記されている。

アペイロンは無限を意味する7e)。「すべての生成がそれによって養われるところの、限りなき無尽蔵な貯えとして理解し、質的に無規定なものではなく、無限の性質として示されている」5b)。つまり、その起源となるものは、物を生成するのに無尽蔵でなければならない。岩崎は「万物の根源をなす物質を、限りないもの、際限ないもの、無限定なもの、その意味で無限なものと考えた。学者らは、ト・アペイロンを限界づけられないもの、限界がなく規定しえないもの、the infinite, the Non-Limited, the Indefinite , The Boundless などと解釈している(概略)」8c)ことを紹介し、「『無限なもの』と訳してもよいが、限り、限界、境界、限定のないものという意味を含めて理解する必要がある」8c)と助言している。

アリストテレスはアペイロンについて「万物はそれ自身始原であるか、あるいは、或る始原から生じるかである。しかし、無限なものには如何なる始原もない。というのは、もしあるとすれば無限には限界があることになるからである。また、それは始原として生成もせず消滅もしないに違いない。なぜならば生成したものは必然的に終わりを予想しなければならないし、消滅するものはすべて終わりをもつからである。このため、『無限なもの』(アペイロン)にはいかなる始原もなく、むしろ他のすべてのものの始原であり、万物を抱擁し万物を支配する。そしてこの無限なものこそ神的なものである。というのはアナクシマンドロスがそう言い、それが不死であり不滅であるからである」5b), 63d) と述べている。なるほど、無限に始まりがあると無限ではなくなる。つまり、連続するなかにゼロ(0)はないのである。逆に0に近づくことが無限でもある。それは見ての通り「0」が円(O)であり、途切れなく連続している無限(∞:メビウスの輪)を表しているからである。古代ギリシアで始原はありながらゼロの思想が生まれなかったのは不思議でもあり分かるような気もする。

アナクシマンドロスの無限なるものは数において無限ではなく、大きさにおいて無限(定)であるとされる3j)、すなわち空間的無限である(しかし断定はできない7e)。質的に無規定との解釈もある18b))。「宇宙世界が数的に無限であると想定している人たちは、それらの生成と消滅が際限なくつづき、たえずあるものが生成するとともにあるものが消滅していくものと想定し、また永遠の動に言及した。動がなければ生成も消滅もありえないからである」3k)。これは興味深い。宇宙が無限に存在する(無限に生まれる)多重宇宙理論(マルチバース理論)64)をはじめ、宇宙は「無」ではなく、膨張と収縮を繰り返すサイクリック宇宙や高次元空間に浮かんだ宇宙の膜のどうしの衝突と離合を永遠に繰り返すエキピロティック宇宙65)、を予感させている。

アリストテレスの「神的なもの」について、イェーガーは「宗教的な思惟に基づく独立した一概念として導かれていることを示している」5c)とし、神々の不死性、真の永遠、「それ自身如何なる起源もない万物の起源を求めることによって不滅なものや神的なもののイディー(観念:考え)に到達している」5c)と述べている。思うに、アナクシマンドロスの無終末性や永遠性によって導かれる不死なる者の存在、これが無限者そのものであることの証になり、以前にはない新たな神の概念を産み出した5c)と理解する(これが魂につながるのか、輪廻転生の思想と関係するのかどうか)。しかし、物質は神々に動かされているのではなく、自ら運動することが自然哲学の要66)と考えるならば、これは無限からのあらゆるものの生成と消滅を与える力(運動)、これまでは神の役目であった運動を、神ではなく、神を想起させるようなしかたで、ヒトの脳にそっと忍び込ませるように、それが何であるかを語らずに3l)、【エネルギー】を思い描いていたのである。と。

*さらに無限について

アリストテレスは、アナクシマンドロスのいう無限(・・)()もの(・・)(ト・アペイロン)について「無限な物体は一つのそして単純なものであることもありえない、或る人びとの言っているような・諸元素とは別の・或るもの― これから諸元素が生まれてくるようなものでもなく、またそれは、端的な意味で一つの単純なものでもない。というのはこれを、空気とか火(水)6a)とかでもなく、無限なものとする人びとがいるからである。それは諸元素のなかで他のものが無限なものによって滅ぼされないためと思ってである。すなわちそれらの諸元素は反対の性質をもっている。たとえば、空気は寒く、水は湿り、火は熱い。これらのうちのどれか一つが無限であるならば、残りはすでに消滅してしまっているであろう。だが、現にいまなおこのとおりであるから、その無限のものは、諸元素とは異なる或るものであって、それから生じて来たのである、とかれらは言っている。だが、そのようなものは存在しえない、そのような無限な感覚的物体はいわゆる諸元素より以外には存在しえないからである」6a), 63a)と語っている。アリストテレスの批判は「ト・アイペロンを四元素とは離れて存在するものとしながら、それを物体と見做していること」15b)にある。言わずもがな、アリストテレスは始原としての基本要素は四元素(水、空気、火、土としたのはエンペドクレスから)3i)以外認めていない。

アリストテレスの無限について、「数は『加えることによって』無限であり、空間は『分割してゆくこと』によって無限であり、時間は『これらの両方の仕方で』無限である」63e)と考えられているようだ。

5-2.ヘーゲルはアナクシマンドロスを見下す?

ヘーゲルは、「アナクシマンドロスの哲学思想は、範囲が狭く、くわしく展開されてもいない」53a)として、「彼は無限なるもの(ト・アペイロン)を原理とする。この無限なものを何か特定のものとして規定しなかった。しかし、この無限なものにも次のようなもの(説明)だけはある。(α)あらゆる生成と消滅との原理である。長い期間に(わた)って無限の世界、或いは神々がこの原理から生ずる。そしてまた再び、その中へと消失する。彼は原理が無限なものとして規定されねばならない理由として、生成が連続するには素材が尽きてはならないからだと言っている。一切を自分の中に含み、また一切を支配する。そして神的なもの、不死的なもの、不変なものであるという。(β)一つのものの中に含まれている諸々の対立を、そのものから取り出してくる(区別する)。従って、すべてのものはこの混合体の中で、すでに出来上がっているが、しかし無規定的にある。即ち、すべてのものは実在的可能性として存在している。アリストテレスは『存在しないものから偶然にすべてのものが生ずるのみでなく、すべてのものは存在するものから、それも現実的にはまだ存在していない可能的に存在するものから生じて来る」と云う。ディオゲネスはこれに付け加えて『無限なものの諸部分は変化するが、それ自身は不変である』と。(γ)それは大きさからいえば無限で、数から言えば、そうではない。アナクサゴラス、エンペドクレスや原子論者等は無限なるものの絶対的断絶性(無限に分割)を主張しているが、アナクシマンドロスは無限なるものの絶対的連続性(無限の延長)を唱えた(一部改)」52a), 53a)と語っている。

さらに、ヘーゲルは「無限なるものを原理とする考えのすすんだところは、絶対的な実在がもはや単一のものではなく、否定的なもの、どこまでも広がるもの、有限の否定物である点にある。無限の全体という考えは、原理は一なるもの、単一なるものだといういいかたをこえるものである。物質的な側面からみれば、水という個別元素を破棄している。無限なるものという原理を対象として見ると、物質というより思想に近い。が、(アナクシマンドロスは)どこまでも広がる物質以外のものを考えていなかったのもあきらかである」53a)とした。

繰り返しになるが、アナクシマンドロスは、タレスの万物の始原は水という単一のものから、無限という或るものを奇想したが、ヘーゲルは『無限なる物質』を述べるのに、それが普遍的な無限(無限とされる物質は様々な性質をうみだし、分裂してあらわれる性質を消滅させる運動)であることを想定していなかった53a)という。そうなのか?ナクシマンドロスは物質のさらなる真なる起源なるもの、無限に供給されうるもの、永遠なるもの、質的に異なるものを分離して生み出せるもの、生成と消滅が表裏一体である、いわゆる物質として言いあらわすことができない、「抽象的な観念」66)ともいえる、ものであるはずと。

(重複するが)続けてヘーゲルは「かれは、無限なるものは同質なるものと区別される、ともいう。つまり、不定なるものは、一つの混沌であり、そこには特定の物や性質がいりまじっている、という。区別は、同質なるものがたがいに結合し、異質なるものから分離する、というかたちをとる(万物は無限なるものから生ずるに当たって、同種なるものは異種なるのものから自分を分離し、同種なるものと結合する)。けれども、これはまずしいもののいいかたで、不定(無規定)なものから確定(規定)したものに移行する必要のあることをしめすだけで、移行のやりかたはおざなりのものである(不十分なる方法で起こる)。無限なるものが分裂し対立をうみだしていく過程については、タレスと同様、濃厚化と希薄化という量的なちがいを採ったようである。後人によると、無限なるものからの分離の過程は発生と名づけられて、アナクシマンドロスは人間を魚から生成させ、水から陸へと発生させた、といわれる。発生という言葉は近年も耳にするが、たんに順序をあらわすだけの形式にすぎないのに、それでなにかすばらしいことをいった気になっているものが少なくない。が、そこにはいかなる必然も、いかなる思想も含まれていないし、ましてや概念がふくまれることはない52a), 53a)と、アナクシマンドロスを見下しているように思える発言である。このアナクシマンドロスを軽んじていることは、ヘーゲルの誤った解釈からも導き出される。哲学界では既に論じられていたことかもしれないが、ここで上述の下線部について触れてみたい。

アリストテレスが述べるに「或る自然学者たちは、事物の基体たる物体を一つであるとした。その他の多くの事物は、(水・空気・火、あるいは或る他の一つ)この一つから生成するのであり、濃密化または希薄化によって多となるのであるとした。しかるに、アナクシマンドロスの主張するように、一つのもののうちに反対的性質のものどもが含まれていて、これらがこの一つのものから分離して出てくるとしている(概略)」63b)(タレスの「反対のものども」は「濃密と希薄」が一般的には「超過と不足と」の意味でもあるように「における反対のものども」と言える。これに対し、アナクシマンドロスは「性質における反対のものども」と言える。それらをその原理相互の性質差で説明しようとした)63f)と、無限なものからの分離は量的な差異ではなく、相対立する質的な差異であるのは明らかである。

ヘーゲルはアナクシマンドロスを嫌っていたのか。愚脳‘おきな’の理解不足か?いや、弟子のアナクシメネス(紀元前560-548頃or587-527頃)と間違えた可能性もある。アナクシメネス(Άναξίμέης)は文字の如く、アナクシマンドロス(Άναξίμανδρος)と似ていて、間違いやすい。しかも同じ時代で、アナクシマンドロスと師弟関係である。。。しかし、これはないだろう。

アナクシメネスは「万物は空気の濃密化と希薄化によって生まれる」3m)。と、説いたとされる。また、この『濃密化と希薄化』を語ったのはアナクシメネスのみだったと記されている3m)。ヘーゲルもこれが書かれているシンプリキオス、プルタルコスを引用して述べている。しかし、ヘーゲルはアナクシメネスを論じるに、なぜかこの肝となる部分を避けている。これは、意図的に濃密化と希薄化をアナクシマンドロスのものとして押し付けた可能性もある。ヘーゲルの『哲学史(講義)』をみると「イオニアの哲学について、三つの要点を指摘できる。(α)(タレスの)根原本質(現実在)は水であるということ。(β)アナクシマンドロスの無限なるものは運動の表示(描寫(びょうしゃ))であること、(すなわ)濃厚と稀薄という單純にして普遍的な両形態面(形式)への進出と退去であること。(γ)(アナクシメネスの)空氣は魂に比べられるということ」52b), 53b)とある。なんとも。

さて、核心にせまろう。なぜ無限からの分離を「濃厚と希薄」としなければならなかったのか。あえて、無限なるものからの分離を語るなかで、「魚から人間の生成の例」をあげて話題を変えたのか。・・・勝手に考えると、知られてはならない恐れである

・・・【無限のあるもの(すべてのもの)は、その中に反対の性質(相対立するもの:他を否定するもの)を含んでいる。そこから対立するもの(異なる性質のもの)を生み出す。しかし、生み出したものと生み出されたものとは滅ぼしあうのではなく、相互への配慮とをこれに帰属させ、新たに生成(止揚:同一)するのである】・・・プライオリティはアナクシマンドロスに輝く

5-3.アペイロンはフッサールまで

話変わって、本多修郎 氏によれば、「無限の概念には『無際限』と真の『無限』とを分かつことができる。『無際限』とは『きり(・・)がない』『きまり(・・・)がない』ということで、欠如的な、否定的な無限である。それに対してかえって肯定的な、ほんとうの無限というものを考えることができる。すでにアリストテレスに、直線運動をただ可能的な無限、それに対して円運動を真の無限とする考え方は芽ぐんでいた。中世のスコラ哲学にいたって、形相による限定を欠いた質料的なものの無限定(indefinitum)と、何ものにも限定されない神の無限(infinutum)との対立が考えられるに至った。ヘーゲルはこのギリシアと中世との無限観を受けついで、「悪無限」と「真無限」との対立を説いた」60b)。また、アペイロンは「ギリシア自然哲学における『限定』(peras:ペラス)に対する『無限定』(apeiron:アペイロン)である。アナクシマンドロスは万物の根源としての無限定、無際限のもの、宇宙空間に広がるあるものをアペイロンとよび、プラトンもペラスとアペイロンがすべてのものに含まれていると論じた」59d)と解説している。難しいが、読み返すとなんとなく分かる気もする。

フッサールの現象学の解説(斎藤慶典 氏)から、「『ヴァ―チャリティ』(注:仮想現実ではない)とは顕在化していないが、顕在化に向かう潜勢力を内に孕んだ『潜在』性を意味する。『現象するもの』がそのようなものとして顕在化するに先立って、顕在化へ向けての動向、それ自体いまだ顕在化していないという発想(概略)」67)はアナクシマンドロスに遡るとして、「万物はそれがそのようなものとして限定ないし規定されてはじめて存在する。水は水として、大気は大気として限定されてはじめて、水であり、大気であるのだ。だがそうだとすれば、そのように限定される何ものかがなければならない。それこそが万物の根源であり、それはあらゆる限定に先立っているがゆえに『無限定なもの』と呼ばれるしかなく、厳密に言えばそれは存在ですらない。存在は、何としての限定を受けてはじめて存在だからである」67)ウーム。なるほどと納得する。終わりにしょう。

ここまで読んでくれた方がおられるなら、相当に暇か、悩み事をかかえておられるのか、もしかしてソクラテスと呼ばれておられる方とお察しする。

注)本文中のカッコ、下線、太文字の付加、また引用文の適宜要約、補足等を行った。

あくまでエンターテイメントの暇つぶしの❛ささやき❜です。哲学者でもありません。

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机に向かっている男はアナクシマンドロスのようにも思われる。右側に立っているのはヒトに知恵を授けたHomo  crow O. である。投げ入れているのは光合成薄巻スマホと察せられる。机の上でドラム缶型地球が浮いている。土間にはグノモン(gnomon:垂針盤)らしきものがある。なんとなく日本(Japoniæ)びいきにみえる。

Pietro Antonio Novelli 「Maupertuis – Opere. Lettere e carteggi」 1760をもとに創作した。

参考・引用等文献(アナクシマンドロスは神から脱却した<1>の文献も含む)

1)ブノワ・ド・マイエ.ユートピア旅行記叢書12.ニコラス・クリミウスの地下世界への旅/テリアメド.多賀 茂・中川久定 訳.岩波書店.1999.1a)テリアメド 第六日目.p. 296、1b)同. 254、1c)同. p. 258、1d)同. p. 292、1e)同. 255-274.

2)マルティン・ハイデッガー.アナクシマンドロスの言葉.〔ハイデッガー選集IIII〕.田中加夫 訳.理想社.1957.2a)p. 48、2b)同. p. 114、2c)同. p. 7-9.

3)ソクラテス以前哲学者断片集.第Ⅰ冊.内山勝利 編集.内山勝利・国方栄二・藤沢令夫・丸橋 裕・三浦 要・山口義久 訳.岩波書店.2000. 3a)第12章 アナクシマンドロス(B). 1シンプリキオス.p. 181、3b)同省. アナクシマンドロス(A).11ヒュッポリュトス.p. 167-168、3c)同. 10擬プルタルコス.p.166-167、3d)同.18アエティオス.p.174、3e)同.21アキレウス・タティオス、21, 22アエティオス.p.175-176、3f)内山勝利 訳. 第Ⅱ部 紀元前6世紀・5世紀の哲学者たち.第11章 タレス(A)学説17a, 17b. アエティオスp. 154、3g)同. 30アエティオス.p. 179、3h)同. ケンソリヌス p. 180、3i)アナクシマンドロス(A). 9シンプリキオス.p.165、3j)第13章.アナクシメネシス(A). 5シンプリキオス. p. 185、3k)アナクシマンドロス(A). 17シンプリキオス.p. 173、3l) 同.14アエティオス.p. 169.3m)第13章.アナクシメネシス(A). 5シンプリキオス. p. 184, 6擬プルタルコス. p. 185.

4)ハイデガー事典.ハイデガー・フォーラム編.第3編 人名編. アナクシマンドロス.日下部吉信.p. 456. 昭和堂.2021.

5)ヴェルナー・イェーガー.ギリシャ哲學者の神學.神澤惣一郎 譯.早稲田大学出版部.1960.5a) 第二章 ミレトス自然哲学者の神学.p. 46-48、5b)第二章 同. p. 31-33、5c)同. p. 42-44.

6)ジョン・バーネット.初期ギリシア哲学. 西川 亮 訳.以文社.1975.6a)第一章 ミレトス学派.(二)アナクシマンドロス.一四. p.84-86.;「空気とか」(p. 84)について「自然学」204b26では「空気とか62a)である。6b)同. 二一. p. 102-103、6c)同. p. 104-105、6d)序論.一二 バビロニア人の天文学(3). p. 45、6e)第一章 ミレトス学派.(二) アナクシマンドロス. 二二 動物.p. 106-108、6f)同. 一六 究極的基体は無限である.p. 90-91、6g)第二章 学問と宗教.(二) コロプォンのクセノプァネス.五五 生涯.p. 164.

7)G. S. カーク, J. E. レイヴン, M. スコフィ-ルド.ソクラテス以前の哲学者たち(第2版).内山勝利・木原志乃・國方英二・三浦要・丸橋裕 訳.京都大学学術出版会.2011. 7a)内山勝利 訳. 第3章 ミレトスのアナクシマンドロス.Ⅱ.アナクシマンドロスによる原初の実在,ト・アペイロン(無限なるもの)の本性.p. 141-142、7b)同. Ⅵ.宇宙論, 現にある世界の構造 (ⅱ)諸天体.p. 177-180、7c)同.Ⅶ.動物および人間の発生. p.184-186、7d)同. (ⅳ)大地は干上がりつつある.P. 182-184、7e)同. p. 144-146.

8)岩崎充胤.西洋古代哲学史[1] ギリシア・ポリス社会の哲学.未来社.1994.8a)第一部ギリシア・ポリス社会の哲学.第一章 初期のギリシア哲学.第一章の概説.Ⅰイオニアの哲学.1ミレトス派 (2)アナクシマンドロス.p. 80-82、8b)同. p. 78、8c)同. p. 72.

9)瀬戸一夫.知識と時間.勁草書房.2003.9a)第二章 宇宙の初期状態と天空構造.第二節 総体的な諸原理の総合.p.65-66、9b)第三章 無限の根本原理と世界創世.第三節 運命的な世界史の終焉.p. 133、9c)第二章 宇宙の初期状態と天空構造.第三節 普遍的な世界像の構想.p.80、9d)同. p. 80-86、第三章 無限の根本原理と世界創世.第一節 周期的な高湿域の移動、第二節歳差的な天体環の運動. p. 87-124.

10)佐藤康邦.カント『判断力批判』と現代.岩波書店.2005.10a)第一章 目的論の諸相.一 目的論の起源.p. 9-10、10b)第八章 反省的判断力と生命科学.二 カントの進化論.p. 255-261.

11)ヘーシオドス.仕事と日.松平千秋 訳.パンドーレーの物語.p. 16-24. 岩波書店.1986.

12)ヘシオドス.神統記.廣川洋一 訳.イアペトスの子.p. 66-74、女の誕生.p. 74-79.岩波書店.2021.

13)マーティン・J・ドハティ.ギリシア神話物語百科.岡本千晶 訳.第1章 宇宙論と創造.p. 54-64.原書房.2023.

14)プラトン全集1.エウテュプロン・ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン.今林万里子・田中美知太郎・松永雄二 訳.岩波書店.1980.14a) パイドン.松永雄二 訳.五八.p. 323-325.

15)アリストテレス全集 4.天体論 生成消滅論.村治能就・戸塚七郎 訳.岩波書店.1968.15a)村治能就 訳.天体論.第二巻 第十三章(295b, 296a)p. 94-95、同. 訳者註(22)p. 178、15b)戸塚七郎 訳.生成消滅論.第二巻 第二章(329a)訳者註(5)p. 377.

16)カール・R. ポパー.推測と反駁.藤本隆志・石垣壽郎・森 博 訳.法政大学出版局.1980.16a)第五章 ソクラテス以前の哲学者たちへ帰れ.原注:(2)p. 734、16b)同. p. 225、16c)同. 224-225、16d)同. 227、16e)同. p. 228.

17)カルロ・ロヴェッリ.カルロ・ロヴェッリの科学とは何か.栗原俊秀訳.河出書房新社.2022.17a)第4章.虚無のなかで宙づりのまま空間を浮遊する大地.p. 83-87、17b)第3章.大気現象.宇宙論的自然主義と生物学的自然主義.p. 70.

18)荒川 紘.アナクシマンドロスの宇宙論における方法.科学基礎論研究.17(4).1986.18a)3. p. 183、18b)1. p. 181.

19)B. ファリントン.ギリシヤ人の科学(上).出 隆訳.第二章.ギリシヤ科学の主なる時期―イオニアの夜明け.p. 46. 岩波書店.1956.

20)ヒッポリュトス.キリスト教教父著作集 19.全異端反駁.大貫 隆 訳.教文館. 2018. 20a)第1巻.自然哲学者 アナクシマンドロス 六.p. 73-74、20b)同. クセノファネス 一四. p. 82.

21)巴陵宣祐.生物學史.上巻.第二章 初期ギリシアの自然哲學.イオニアの哲學者 二、アナクシマンドロス.p. 37-38.日本出版配給.1941.

22)八杉竜一.進化論の歴史.岩波書店.1973.22a)一 進化論前史.1 アリストテレス以前.p. 2-3、22b)同. p. 35.ショイヒツァーの「オオサンショウウオ」を「魚竜」と誤記。22c)二. 十八世紀の進化論.3 フランスにうまれた進化論.p. 49-51、22d)同. p. 52-58. 22e)5 エラズマス・ダーウィン.p. 84-85

23)ミシェル・モランジュ.生物科学の歴史.第1章 古代ギリシアとローマ時代.時代を越えて.アナクシマンドロスと原子論者.p. 22-24.佐藤直樹 訳.みすず書房.2017.

24)深津武馬.AIST Today. 世界初、微生物から多細胞生物へのゲノム水平転移を確認―生物進化論などへ影響か.p. 5-7. 2003.1. https://www.aist.go.jp/Portals/0/resource_images/aist_j/aistinfo/aist_today/vol03_01/vol03_01_p05_07.pdf

25)デイヴィッド・クォメン.生命の<系統樹>はからみあう.第6部 トピアリー.p. 266-270. 的場知之 訳.作品社.2020.

26)宮田隆.分子からみた生物進化.第16章.生物最古の枝分かれ.p. 300-303.講談社.2014.

27)ラマルク.進化學典籍叢書1 動物哲學.小泉 丹・山田吉彦 譯.岩波書店.1927.27a)第四章 動物に関する全般的見解.p. 131.

28)岸本沙耶・宇野雅晴・岡部恵美子・農野将功・西田栄介.獲得形質は遺伝する?―親世代で受けた環境ストレスが子孫の生存力を高める―エピジェネティック.

jaresearchresearch_results2016documents170109_101.pdf (kyoto-u.ac.jp)

Environmental stresses induce transgenerationally inheritable survival advantages via germline-to-soma communication in Caenorhabditis elegans. Nature Communications. DOI: 10.1038/NCOMMS1403

29)アリストテレス全集 7.動物誌 上.島崎三郎 訳.岩波書店.1968.29a)第6巻 第10章. (565a)、(565b) p. 192-193、29b)第1巻 第1章. (487a)p. 5、29c)第6巻 第14章. (568a)p. 198、同. 訳者註(19)p. 397、29d)第1巻 第1章. (487b)p. 6、同. 訳者註(26) p. 254、29e)第5巻 第19章. (551b), (552a)p. 160.

30)佐藤 哲.講座 進化⑦ 生態学からみた進化.柴谷篤弘・長野 敬・養老孟司 編.東京大学出版会.1992.29a)6 環境としての他者の行動.2魚類における子の保護.p.204-206.

31)カント全集 第八巻.判断力批判.高坂正顯・金子武臧 監修.原 佑 編集.原 佑 訳.第二部 目的論的判断力の批判.付録 目的論的判断力の方法論.第八〇節.p. 371.理想社.1965.

32)アリストテレス全集 9.動物運動論 動物進行論 動物発生論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969. 32a)動物発生論.第3巻 第11章. (762a)p. 237、同. 訳者註(11)p. 388.

33)ジョン・グリビン、メアリー・グリビン.進化論の進化史.水谷 淳 訳.早川書房.2022.33a)第Ⅰ部ダーウィン以前 第1章 曇った鏡に映して.自然は流転する.p. 28-30、33b)同. 第2章 偽りの夜明け.発生の謎.p. 54-56.

34)アリストテレス全集 8.動物誌 下 動物部分論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969.34a)第8巻 第二章.陸上動物と水生動物他.訳者註(3).p.139、34b)同. (589a)p. 5-6、34c)同. 訳者註(10). p. 139、34d)同. (589b)p. 7、34e)第9巻 第四十八章.(631a)イルカの愛情深い性質.p. 113—114.

35)矢島道子.化石の記憶.東京大学出版会.2008.35a)第2章 化石をめぐる時間.2.6 変化する復元像(4)たくさんの龍たち.p. 65、35b)第5章 自然の遊び・自然の冗談.5.4 ヨハン・ショイヒツァー.(1)大洪水説、(2)罪深い人間の化石.p. 142-145、 35c) 第3章 日本にやってきた化石研究者.3. 4 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト.(4)オオサンショウウオ.p. 95.

36)アリストテレス全集 6.霊魂論 自然学小論集 気息について.山本光雄・副島民雄 訳.岩波書店.1968. 36a)副島民雄 訳.自然学小論集.第十章 呼吸について. (476a) p. 313.

37)マーティン. J. S.ラドウィック.化石の意味.第1章 化石物.11.p. 59. 菅谷 暁・風間 敏 共訳.みすず書房.2013.

38)松井正文.これからの両棲類学.松井正文 編.裳華房.2005.38a)第Ⅰ編 両棲類学の現状.1章 両棲類学と日本の現状.1-1 はじめに―両棲類とは―.p. 2、38b)1-3 日本における両棲類研究の歴史.p. 8.

39)Andrias scheucheri.Wikipedia. This page was last edited on 30 December 2023, at 07:34 (UTC). https://en.wikipedia.org/wiki/Andrias_scheuchzeri

40)荒俣 宏.世界大博物図鑑第3巻.両生・爬虫類.平凡社.1990.40a)両生類. オオサンショウウオ.p. 17.(展示物の化石表題は「Homo diluvii testis」であるが、本書の解説では「Homo tristis deluvi testes」(大洪水を目撃した哀れな人類)と記載)、40b)同. p. 20.

41)杉谷政樹.歴史の情報蔵.第90話.「ファウナ ヤポニカ」.三重県立博物館.

「ファウナ ヤポニカ」
三重の歴史がよみがえる。歴史の情報蔵

42)異国叢書 シーボルト江戸参府紀行.第二. 七 京都より江戸への旅行.p409.呉 秀三 譯註.雄松堂書店.1966.

43)L. B. Holthuis・T. Sakai(酒井 恒).PH. F. VON SIEBOLD AND FAUNA JAPONICA(シーボルトと日本動物誌).Dr. v. Siebold. Von Siebold’s and Burger’s contributions to Japanese Zoology. Ad I. C. 学術書出版会.1970.43a)Chapter 3. Von Siebold’s and Bürger’s contributions to Japanese Zoology. c. Siebold’s journey to Edo and his zoological collections. 27 March. p. 66-67: PART Ⅱ.《和文編》章3 フォン・シーボルトとビュルゲルの日本の動物学への貢献.c. 江戸参府と日本の動物学資料.3月27日.p. 258-259.(「Choan Minato」を「 長安」と記載)、43b)同. b. Von Seibold’s and Bürger’s collections. 3. Ad I.C. p. 59:同(和訳). b. フォン・シーボルトとビュルゲルの蒐集品. 3. I.C. p. 254、43c)同. 4. p. 62:同(和訳). 4. p. 256、43d)Chapter 4. Von Siebold’s Fauna Japonica. d. Reptilia. p. 75:章4 フォン・シーボルトの日本動物誌.d. 爬虫類(Reptilia). p. 266.

44)松井正文.オオサンショウウオの属名について.爬虫両棲類学会報.p. 75-78. 2001(2)

Table 1の「1837」は「1836」と思われる.

45)Newton(ニュートン)別刷.最初の生命から哺乳類まで 「生命」とは何か いかに進化してきたのか.2 生命が大進化したとき.「上陸への大進化」.協力 籔本美孝.p. 90-95.ニュートンプレス.2007.

46)J. A. クラック.魚のサイエンス.魚から四肢動物へ 見えてきた上陸前後の変化.冨田幸光 訳.p. 108-116. 別冊日経サイエンス(233).日経サイエンス.2019.

47)Neil H. Shubin, Edward B. Daeschler, and Farish A. Jenkins, Jr. Pelvic girdle and fin of Tiktaalik roseae. January 13, 2014, 111 (3) 893-899. PNAS.

ひれから足へ、3憶7500万年前の化石に進化の節目. 米研究.AFPBB News. 2015.1.15. 2014. https://www.afpbb.com/articles/-/3006560

48)倉谷 滋.リレーエッセイ<15>胚発生はいったい何を反復するのかー個体発生と系統発生の悩ましい関係―.日本進化学会ニュース. 18(3).p. 1-5.2017.

49)Thomas Henry Huxley. Evidence as to Man’s place in nature. p.65. Williams and Norgate. 1863.

50)チャールズ・R・ダーウィン.ダーウィン著作集1.人間の進化と性淘汰Ⅰ.長谷川眞理子 訳.1999.第1部 人間の進化.第1章 人間が何らかの下等な種に由来することの証拠.胚の発生.p. 23.

51)倉田 滋.岩波 科学ライブラリー108 個体発生は進化をくりかえすのか.3 法則か傾向か,偶然か必然か. ヒトの起源とネオテニー.p. 59. 岩波書店.2005.

52)ヘーゲル全集11.哲學史.上卷.武市健人 譯.岩波書店.1934.52a)第1部 ギリシャ哲學史.第1節.第1期.第1章 第1期の第1項.A イオニヤ學派の哲學.2 アナクシマンドロス.p. 239-244、52b)同. 3アナクシメネス.p. 251. (同書:1996(第3刷)p. 247-252も使用した).

53)G. W. F. ヘーゲル.哲学史講義 上巻.長谷川 宏 訳.河出書房新社.1992.53a)第1部 ギリシャの哲学.第1編 タレスからアリストテレスまで.第1章 タレスからアナクサゴラスまで.A. イオニアの哲学 二. アナクシマンドロス.p. 172-175、53b)同. 三. アナクシメネス. p. 180.

54)G. W. F. Hegel. Werke in zwanzig Bӓnden 18. Vorlesungen über die Geschichte der Philosophie. I. ERSTER TEIL. GESCHITE DER GRIECHISCHEN PHILOSOPHIE. A. Philosophie der Ionier. 2. Anaximander. p. 212. Suhrkamp Verlag. 1978.

55)佐倉 統.進化論の挑戦.第1章 進化と進化論の歴史.1 自らのルーツを求めて―進化論.p. 20.角川書店.1997.

56)栗原 隆.変容(Metamorphose)と進展(Evolution).シェリング年報.28号.日本シェリング協会.2020.55aはじめに.p. 74、56b)1. シェリングにおけるメタモルフォーゼ把握.p. 75.

57)ゲーテ全集 14.潮出版社.1980.57a)野村一郎 訳.植物生理学の予備的研究.p. 112、57b)色彩論.―教示編―.まえがき.p. 308.

58)ゲーテ.自然と象徴 ―自然科学論集―.高橋義人 編訳.前田富土男 訳.冨山房.1999.58a)第4部 色彩論.5 反ニュートン.i 光学か色彩論か.p. 318、58b)第三部 形態学.2 メタモルフォーゼ.ⅱ植物のメタモルフォーゼ.p. 171.

59)ヘーゲル.自然哲学(下).ヘーゲル哲学体系初期草稿(三).本多修郎 訳.未来社.1984.59a)(三)有機的なもの.二、植物的有機体.(α)最初の地としての植物.p. 225, (β)植物の成長における非有機的原素の流入.p. 228-229、59b)同. (a)光のもとにおける植物の呼吸作用.p. 231、59c)同. 訳注. 二三一(一).p. 360、59d)(一)力学.三、質料.b[彗星圏] 訳注. 六五(二)p. 336.

60)ヘーゲル.自然哲学(上).ヘーゲル哲学体系初期草稿(二).本多修郎 訳.未来社.1973.60a)(二)地球系.A 力学.BB 槓桿.〔光と闇との統一としての個別性のエレメント〕訳注. 一三四(一). p. 340、60b)(一)太陽系. A運動の概念. [B]B [空間]〔絶対的空間-面・線-点の総体〕訳注. 五六(一). p.325.

61)林 克彦 他.雄細胞だけでマウス誕生、哺乳類で世界初 iPSから卵子.日本経済新聞.2023年3月15日 19:00.  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC152NB0V10C23A3000000/

K. Murakami, N. Hamazaki, N. Hamada, G. Nagamatsu, I. Okamoto, H. Ohta, Y. Nosaka, Y. Ishikura, T. S. Kitajima, Y. Semba, Y. Kunisaki, F. Arai, K. Akashi, M. Saitou, K. Kato & K. Hayashi. Generation of functional oocytes from male mice in vitro. Nature. (615). p. 900-906. 2023(Published online: 15 March 2023)

62)鎌田柳泓.日本思想大系42.石門心学.心学奥の桟 上之巻.p. 411-412. 柴田 実 校注者.岩波書店.1971.

63)アリストテレス全集 3.自然学.出 隆・岩崎充胤 訳.岩波書店.1968、63a)第3巻 第五章(204b)p.101-102、63b)第1巻第四章(187a)p. 17、63c)同. 訳者註(6)p. 382、63d)第3巻 第四章(203b)p. 95-96、63e)第3巻 第四章(204a)p. 97-98、同訳者註.(24)p. 414、63f)第1巻第四章(187a)訳者註(3)p. 382.

64)渡辺潤一.眠れなくなるほど面白い 図解 宇宙の話.第6章 ここまでわかった!最新宇宙論.47 宇宙はいくつもあるの? p. 126-127.日本文芸社.2022.

65)小松研吾・永原和聡.Newton(ニュートン).無とは何か.PART3 究極の無.輪廻する宇宙、ブレーンワールド.ニュートンプレス.末次祐介・橋本省二・橋本幸士 監修.p. 62-65.2019.39(5).

66)柄谷行人.哲学の起源.第3章 イオニア自然哲学の特質.2 運動する物質.p. 97-100.岩波書店.1997.

67)斎藤慶典.フッサール起源への哲学.第四章 身体と私.3. 私―アクチュアリティかヴァ―チャリティか.p. 197 -199.講談社.2002.

引用文献・参考文献にある誤植等を記す

6)ジョン・バーネット.初期ギリシア哲学. 西川 亮 訳.以文社.1975.

p. 84. 12行「空気とか水」→ アリストテレス「自然学」204b26は「空気とか火」.正誤は不明.

22)八杉竜一.進化論の歴史.岩波書店.1973.

p. 35. ショイヒツァ―が発見した化石骨は、じつは「魚竜」(誤)→「オオサンショウウオ」(正)

43)L. B. Holthuis・T. Sakai(酒井 恒).PH. F. VON SIEBOLD AND FAUNA JAPONICA(シーボルトと日本動物誌). 学術書出版会.1970.江戸参府と日本の動物学資料.3月27日.

p. 258-259.「奏 長安」→「湊 長安」(正?).資料(40, 41)は「湊」であるが、戸籍上の記載は不明.

44)松井正文.オオサンショウウオの属名について.爬虫両棲類学会報.2001(2).

p. 75-78. Table 1:1837年→1836年(正?)

59)ヘーゲル.自然哲学(下).ヘーゲル哲学体系初期草稿(三).本多修郎 訳.未来社.1984.

p. 197、訳注. p. 354.

うどん粉病(誤)→うどんこ病(正);植物病理の表記は「うどんこ病」である.

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