エンペドクレス <2> エトナ山の噴火口に飛び込んだらしい⊶自らを神と称する医者・予言者・科学者

自分の悪い評判を聞いたときに腹を立てのはどうしてかたと尋ねられて、こう答えた。「もし悪い評判を聞かされて苦痛を感じないとしたら、称賛されてもその喜びを感じることさえできないじゃないか」13e)

4.アリストテレスの批判

アリストテレスは、エンペドクレスの思想について多くの批難をしている。その一部を。基本要素については自己矛盾がみられるとしている。「要素たるものが他の要素から生ずることを否定し、これから生ずるのは要素以外のすべてであると言いながら、同時に一方では、「争い」を除く全自然を一つに(くる)め上げた時には、すべてのものがこの一つのものから生ずると言っている」2h)「要素以外のものは、その生成と消滅をその要素に達するまで行うのであるが、しかし、その要素そのものが寄せ集められた量をなしているのに、その量がいかにして生成し消滅するのかはっきりしていない」2i)要素も寄せ集めとしているのは、アリストテレスは四根も小さな塊の凝集した構成体と考えている:誤解とされる2j)

「要素を分離するのは、「争い」ではなく、むしろ「愛」がこれら本性上神より先なる要素を分けるのであり、そしてじつにこれら要素がまた神々なのである」2k)と「愛」を分離の原因であるとしており、これは「愛はものを分離させ、争いはかえって結合させるようなことになっている。というのは、争いによって全体がその構成要素(元素)に分解されるときには、火は火どうしで結合して一つになり、同様に他の元素もそれぞれ一つに結合されるからであり、ふたたび愛によって異なる元素が結合されて一つにされるときには、それぞれの部分は同類どうしで結合していた元素群から切り離されざるをえないからである」17a)。アリストテレスは、要素は同類の塊として捉えていることから、「愛」は各要素を結合させるためには、要素の塊からの一部を分離させる必要があるのだ、と解釈している。ひらたく言うと、“愛がAとBを結びつけるとき、AAからA、BBからBを引き離す。争いによりABが引き離されると、AとA、BとBが結合する”。

「自然に生成されるものは、ほとんどの場合において決まった仕方で生成するが、これに反し、ほとんどの場合においてそうであるということではなしに生成するものは、偶発因や遇運によって生成する。エンペドクレスによれば、何ものかが生成するのは、要素が、偶然にそうなったという仕方で結合する場合にではなくて、或る一定の割合で結合することによって行われる。一定の割合で結合するとは、いかなる原因によるものなのか。事物の生成の原因は、しかじかの割合のもとにある、ということであり、これがまた、それぞれの事物の本性を構成しているが、この本性については何もふれていない。彼は自然については肝心なことを何一つ述べていない」2k)と語っている。

また、「エンペドクレスの基本要素(根)について四つであるとしているが、二つのものでしかないように扱っている。すなわち、火は独立して扱うが、これと対置されうる諸要素―土と空気と水―は一つの自然本性をもつものとして扱っている」としている17a)。さらに、「エンペドクレスは、骨は比(諸元素の混合の割合)によって存在すると言っている。肉や肉体組織の各部分は、それぞれの構成要素の比なのであって、諸元素の一つ一つの比ではない。つまり火と土と水と空気によってではない」17b)と誹議は続く。

5.生物論の奇想天外思想と思いきや!

エンペドクレスで興味を引くのは生物の発生についてである。まったく根拠のない想像を描いているのが面白い。

「第1段階において植物が生じ、後に動物が現れる15)。完全なものとしてではなく、成長をともにしない諸部分に分離した形で生じた。はじめに頭、手、足など単独肢体が育ち、それらが混合を求めてさまよう。第2段階は成長を共にする部分から生じたが、想像の産物のようであった。偶然により牛の顔をもつ人間の子などの動物が合成されるが、このような生き物(不適合)は(生殖を通じて)生き残ることはできず死滅する(今も滅びつつある)。一定の目的のために生じたかのような場合、それらの生きものはひとりでに適切な組織を得て生き残った。第3段階は全一なる性質のものから生じた。全一なる性をもつ形態(断片ではない完全な存在)が大地から萌え出た。まだ肢体の愛らしい姿をも、人間に具わる発生の器官も示してはいなかった。この段階では愛が多くのことを達成していない。第4段階は互いに異なったものの混合によって生じた。もはや土や水のような同質のものからではなく、互いに異なったものの混合によって生じた。そしてすべての動物の種族がその混合の性質によって区別された。愛が完全に優位になった混合の極地である」7g), 9a)

繰り返しになるが、この動物の発生については具体的に述べられている。「最初に頭、手、足などの単独な肢体が育ち、互いに混合を求めてさまよっていた。・・ここでは数多くの頸のない頭が芽生え、腕が肩をもたずにぶらつき、目の玉が額を求めてさまよった。・・されどいまやしに神と神が混じり合っていたとき、これらの肢体は出遭うがまま落ち合い、数々のものが絶え間なく生れ出た。数多くの両面に顔をもち両面に腕をもったものが生まれ、人面の小牛や牛頭の人の子が跳梁ちょうりょうし、ある部分には男の性、ある部分には女の性を混じえて、蔭なす器官を備えたものどもが跋扈ばっこした。この段階は異形によって支配されているが、生殖可能なものが生き延び、他はすべて滅びた・・・」7g)。しかし、よく考えると、この魑魅魍魎(ちみもうりょう)としている世界はでたらめではなく、はるか未来を言い当てていることに驚愕する。ご存知の通り、臓器移植(同種以外でも)は日常的に行われ、多能性幹細胞(ES細胞、Ips細胞など)から培養(培地条件)によって臓器(心臓、肝臓、すい臓、腎臓等)、あるいは手、足、目などが再生可能である(研究段階であるが)。すでにギリシャ神話のキマイラのような生物も数多く作られており、いろいろな方法も開発されている(注:キメラに限らない)。有名なのは耳(牛の軟骨細胞)が背中にあるマウス(バカンティマウス)は見たこともあると思う。理論上は遺伝子を導入・改変することで人の背中に羽を生やすこともできる(飛ぶに骨格を変えないといけない)。しかし、牛の頭と人の体を直接合体させるのはまだかなり難しいと思われる(ブタの臓器は試みられている)。まあ、このような動植物はこれまでも数多くあり、驚くことではない。古くは雌雄を合体させたカイコ、ジャガイモとトマトの接ぎ木植物(上にトマト、下にジャガイモができる。ついでながらナスにトマトの実がなったと話題になるのは、台木品種の赤ナスの茎が伸びて実がついただけである)など身近である。かつて植物ではプロトプラストを利用した細胞融合が盛んに行われ、その後、遺伝子を直接導入する遺伝子組み換えに向かったが、状況は言わずもがなである。ちなみに遺伝子組み換えとゲノム編集は違うので。最近では、死んだ豚に血液を送ると臓器(心臓、肝臓、腎臓)が生き返ったという話は衝撃的だった。

エンペドクレスには目的論的ではない進化論、“適者生存、自然淘汰の思想の先駆けが見られる”5e), 14b), 15)と論じられることもある。アリストテレスはエンペドクレスの自己偶発についての考えについては、「各類の動物に見られる現象をあげ、次にその原因を述べ、生成を論ずるという順序で始めるべきである。生成は実体のためにあるので、実体が生成のためにあるのではない。エンペドクレスの『動物体の多くの部分は発生中に偶然そうなったので、例えば背骨は胎児の体が曲がるときに骨が細かく割れてできた』というのは正しくない」16)と非難している。この背骨の例はおかしいが、偶然の考え方としてはありである。また、アリストテレスはエンペドクレスの偶発と自己偶発を理解した上で5f)「およそいずれの部分でも、それらがあたかも何かのために〔目的適合的に〕生じたなら、そう成ったであろうようにたまたまそう成ったときには、それらはすべて、そうあるに適したように自己偶発によって作られているので、生き残る。しかるに、そうでないものは滅んだし、また滅び続けている。あたかもエンペドクレスが「人面の牛の子」についてそう言っているように」5g)と、目的論的に読み換えたとしている14b)。確かに適者生存的で進化論的な思想が見受けられるが、何を根拠にしてこのような発想に至ったのか。エンペドクレスは、「かつて少年であり、少女であった。灌木(藪)であり、鳥であり、魚であった」7h), 9b), 11c), 13c)と語っている。これは、輪廻転生というピタゴラスの影響であるが9b)、シャラスターニーの解釈‟下位なる霊魂は、より上位のものの外皮であり、より上位のものはその内核である”について「ここには一つの確信が存している。すなわち、植物、動物、人間、神という連続的段階である」13c)と訳者は説いている。まあ、植物、魚、鳥(恐竜)、人間(哺乳類)の生物史を意図していると無理やり推し量ることもできる。かつて魚であったというのはクセノパネスの化石についての考えや、アナクシマンドロスの魚類から人間への進化論から知を得たのでは?と、根拠のない憶測をしてしまうのだが。人間にとっての最善の転身は、動物ではライオン、植物では月桂樹らしい13d)

6.<植物に雄雌はないのか> 生物の相同性

アリストテレスは、「植物では雄と雌に分かれていない。それゆえ彼らは自分だけで自体から子を産み、生殖液を出さずに<種子>と称する胚子(embryo)を出すのである。エンペドクレスはこのことをうまく言い表している『このように大木は卵生する(卵を産む)。まずはオリーヴの木の…』 というのは、卵は胚子であり、その一定部分から幼動物が生じ、残りは栄養である。同様に種子の部分から幼植物が生じ、残りは栄養となる18a)(動物と植物の卵にみられる‘黄身と白身’、‘胚と胚乳’)」、また同じ種類のものとして「毛髪も、木の葉も、鳥の羽毛も、手足のうろこ」19)を挙げて、異種の生物の外観上異なった部分の間に相同的な機能を見出したことを珍しく褒めている7i)。遺伝子レベルの相同性を思い浮かべてしまい、最初は何のことか分からなかったが、“髪の毛、木の葉、羽毛、ウロコ”は、共通の保護・温めるという機能(役割)がある、と理解すれば、確かにこの時代において先見性のある発想である。雪の上に落ちた木の葉の周りは融けて窪む。

動植物に関しての間違った認識はこの時代において仕方がないが、植物に関しての知識がアリストテレスには著しく乏しいと感じる。「動物では雌と雄に分かれていて、それぞれ別の個体であるが、種は同じである。男も女もヒトであり、雄ウマも雌ウマもウマである。ところが、植物ではこれらの能力が混じっていて、雄と雌に分かれていない」18a)について、これはアリストテレスが動物学に関心があり、テオプラストスは植物学に関心をもっており、それぞれ動物学と植物学について分担していたとされる20a)からであろうか。植物が雄と雌に分かれていないとあるが、新アッシリア王朝(前800年頃)時代に、ナツメヤシの木は雌雄異株で、雄花を持って雌花に人工授粉する壁画が残されている21)。ナツメヤシの栽培は紀元前3000年頃から始まったと推測され22)、古代ギリシャでも植物の雌雄についても知られていたが、現在の雄と雌の理解と異なっていた20b)

アリストテレスはイチジクの雄雌の話として、「同じ類の木であるものは実を結び、あるものはそれ自身実を結ばないが、実をつける木の実を結ぶことに寄与することがある。たとえば、イチジクと野生イチジクである18b)。また「魚類の雌の、雄と思われるものとの違いは、実を結ぶものと実らぬものとがあるような植物(たとえばオリーヴと野生のオリーヴやイチジクと野生のイチジクなど)の場合と同様であると思っているのである」18c)と述べており、植物では一般に実をつけないもの雄とみなしている。また、植物の雌雄は動物のように明瞭に分かれているのではなく、「イチジクでは雌雄同株であるが、栽培種のイチジクは雄花が発達しないので雌に、野生イチジクは雌花が発達しないので雄になる18d) ことも意図しているようだ。この時代(テオプラストス)の植物の雌雄は動物の形態から、逞しい姿を雄、ほっそりした姿を雌としたりもした20b)

*イチジクの雌雄性と、花にいる特別なコバチと受粉の関係について調べていたら深みにハマってしてしまい、別ブログ『イチジクのカプリフィケーション』で書いたので、興味ある方は、一度は訪れていただきたい。

7.あっぱれな明治時代の日本人

ここまで読んだ人がいるのであれば、ずば抜けた忍耐力とつまらない講話にも耐えうる素晴らしい精神力の持ち主である。きっと人生で成功すること間違いなしの天才である。さて、エンペドクレスの話ではないが、アリストテレスの語った「植物は生殖液を出さずに種子と称する胚子を出すのである」18a)の生殖液(精子)について思い当たることがあったので紹介する。学校でも習ったかもしれないが、植物にも精子があることが隠花植物のミズゴケで発見(1820年頃)され、その後、シダ植物でも発見された。しかし、顕花(種子)植物は隠花植物とは構造的にも全く異なることから精子は作られないと思われていた(イチョウは裸子植物に分類されており、花粉により受精が行われているものと考えられていた)23)。この常識を覆したのは平瀬作五郎氏であった。イチョウで精虫(精子)を発見したのである。「精虫が花粉管の一端から飛び出して、胚珠心の内面にたまった液の中を自転しながら、非常に速い速度で動いている状態を目撃できた」と記されている23)。この発見の2か月後に平瀬の恩師である池野成一郎博士もソテツで精虫(精子)を発見したのである23)。これは明治29年(1896年)で、つい最近まで丁髷の江戸時代であるのに、世界的な快挙を成し遂げた。あっぱれで、頭が下がる。このような訳で、種子植物でも生殖液による種子が作られ、アリストテレスの認識は2000年の時を超えて刷新されたのである。

ちなみに芥川龍之介の遺書にはエンペドクレス伝を読んだことが記されている9c)

古代の人々はバックトゥザフューチャーのドクやマーティが来たら、彼らが何を話しているのか理解できないと思われる。未来のことを話しても正しく伝わらずに、エンペドクレスの語っている内容となっていたのであろうと、根拠のない空想を描く。お気づきのようにエンペドクレスの名前に‟ドク”が入っているではないか!

哲学者でも生物学者でもありません。あくまでエンターテイメント風の勝手な軽いささやきです。

アイキャッチ画像について

この絵はGregor Reisch「Margarita Philosophica」(1503年)の木版挿絵を参考(アレックス・ベロス著「素晴らしき数学世界」p.176.早川書房, 他)に創作した。中央でクレプシドラを持っているのは、人間に知恵を授けたホモ・クロウ(Homo crow)である。エンペドクレスのいうところの、カラスの頭とヒトの体がさまよう中で遇運によって合体した生物と推察される。普通は絶滅するが、たまたま生き残ることができた。左下の若者はエンペドクレスと思われ、クレプシドラを机に置き四根を考え、自信に満ちている。一方、右下の老人はアナクサゴラス?らしいが不明である。水時計の水がめを机に置いて浮かぬ顔をしている。

参考・引用文献

1) アリストテレス全集 11.問題集.戸塚七郎訳.岩波書店.1968.1a)第16巻.無生物に関する諸問題.(八).訳者註: (2): p.574、1b) 同: p.241-244

2) アリストテレス全集 4.天体論 生成消滅論.村治能就・戸塚七郎 訳.岩波書店.1968.2a)村治能就 訳.天体論.第2巻第13章. 訳者註(12): p.177、2b)同(294b): p.90-91、2c)同第1巻第6章(274a): p.21-22、2d)戸塚七郎 訳. 生成消滅論:第1巻 第1章.訳者註(14): p.352、2e)天体論第2巻第13章: p.92-94、2f)生成消滅論:第1巻 第1章: p239、同2章(334a): p.327、2g)同訳者註(15): p.352-353、2h)同第1巻 第1章(315a): p.238-239、2i)同第8章: p.288、2j)同訳者註(10): p.369、2k)同第2巻第6章(333b): p.324-326.

3) ベンジャミン・ファリントン.ギリシャ人の科学(上).第四章: p.78-86.出 隆 訳.岩波新書.1956.

4) アリストテレス全集 6. 霊魂論 自然学小論集 気息について 山本光雄・副島民雄 訳.岩波書店.1968.(副島民雄 訳.自然学小論集 呼吸について 第7章(473b, 474a): p.305-308)

5) アリストテレス全集 3.自然学.出 隆・岩崎允胤 訳.岩波書店.1968.(出 隆 訳:第1-4巻・岩崎允胤 訳:第5-8巻).5a)第4巻第6章: p143、5b)同訳者註(4),(5): p.424、5c)第4巻第8章: p.156、5d) 第8巻.第1章: p.294、5e)訳者註:第2巻第8章(5): p.403. Cf, j. Burnet, Early Greek Philosophy, 3rd ed.: p.243、5f)第2巻第4-6章: p.66-78、5g)第2巻第8章: p.73-74.

6) 山本義隆.磁力と重力の発見.1 古代・中世.第1章 磁気学の始まりー古代ギリシャ.1 磁力のはじめての「説明」:p.20-29. みすず書房.2004.

7) G.S.カーク, J.E.レイヴン, M. スコフィ-ルド. ソクラテス以前の哲学者たち(第2版).内山勝利・木原志乃・國方英二・三浦要・丸橋裕 訳.京都大学学術出版会.2011.7a) 丸橋裕 訳. 第10章 アクラガスのエンペドクレス (ⅱ)感覚知覚と思考: p.396-398、7b)同(ⅶ)四つの根の混合 断片21.シンプリキオス『アリストテレス(自然学)注解』159.13: p.378-379、7c)同p373、7d) 同(ⅲ)宇宙誕生: p.386-387、7e) 同(ⅱ)渦動: p.382-387、7f)同: p.386、7g) (Ⅴ)動物発生論: p.389-392、7h)同: p.408、7i)同(Ⅵ)生物学: p.393

8) プラトン全集 9.ゴルギアス メノン.加来彰俊・藤沢令夫 訳.岩波書店.1980.(藤沢令夫 訳.メノン 九: p.263-264)

9) 納富信留.ギリシャ哲学史.筑摩書房.2022.9a)第Ⅱ部初期ギリシャ哲学.Dイタリアでの探求 第9章. エンペドクレス.第4節 自然について: p.235-242、9b)同第3節 浄め: p.232、9c)同第6節 受容: p.247.

10) J. V. ルース.ギリシャ哲学入門.第五章.前五世紀中頃における自然哲学者たち.エンペドクレス.p73-81.中西裕一・渡辺きみ代 訳.1997.駿河台出版社.

11) ヒッポリュトス.キリスト教教父著作集 19.全異端反駁.大貫 隆 訳.教文館.2018. 11a)第7巻.マルキオン.(二九):p.316-319、11b)同(三0) :p325、11c)第1巻.自然哲学者. エンペドクレス(三) :p.71-72.

12) プラトン全集13 ミノス 法律.向坂 寛・森 進一・池田美恵・加来彰俊 訳.岩波書店 .1981.(加来彰俊 訳.法律.第十巻 四(889): p.593-595)

13) ソクラテス以前哲学者断片集.第Ⅱ分冊.内山勝利 編集.内山勝利・日下部吉信・国方栄二・藤沢令夫・丸橋 裕・三浦 要 訳.岩波書店.2000.(エンペドクレス(A) 学説:丸橋 裕 訳.エンペドクレス(B)著作断片:藤沢令夫・内山勝利 訳).13a)第31章.エンペドクレス(B). 断片17 : p.240-242、13b)同エンペドクレス(A). アエティオス: p.188:、13c)同 エンペドクレス(B). 117.ディオゲネス・ラエルティオス/ヒッポリュトス: p.305、13d)同.127.アイリアノス: p.311.

14) 柄谷行人.哲学の起源.岩波書店.2022.14a) 第四章 イオニア没落後の思想 4 エレア派以後 a エンペドクレス:p164-170. 14b)第三章 イオニア自然哲学の特質 3 制作と生成: p.104-108.

15) 岩崎允胤.西洋古代哲学史[Ⅰ] ギリシャ・ポリス社会の哲学.1994.第1章 初期のギリシャ哲学 Ⅴ 多元論と原子論. A 多元論.1 エンペドクレス. p.181-192.未來社

以下は、エンペドクレス<2>で引用・参考としている。

16) アリストテレス全集 8.動物誌下 動物部分論.1969.第1巻第1章: p.266

17) アリストテレス全集 12.形而上学.出 隆 訳.岩波書店.1968.17a)第1巻第4章: p.20、17b)第1巻第10章: p.50

18) アリストテレス全集 9.動物運動論 動物進行論 動物発生論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969.18a)動物発生論.第1巻第23章(731a): p.143、18b)同第1章: p.95、18c)同第3巻第5章: p.217、18d)同訳者註第1巻第2章(21): p317

19) アリストテレス全集 5.気象論 宇宙論.泉 治典・村治能就 訳.岩波書店.1969.(気象論.泉 治典 訳.第4巻第9章(387b): p.155)

20) テオプラストス.植物誌 1. 西洋古典叢書.小川洋子.京都大学学術出版会.2008.20a)解説.テオプラストスの生涯: p.459、20b)第1巻第8章.註釈(1): p.102-103、第2巻第6章.註釈(3): p.236-237.

21) 渡辺光太郎.花粉の役割がわかるまで.日本花粉学会会誌.42(2).127-140. 1996. (1. アッシリアのナツメヤシ.p.127-129)

22) 岩佐俊吉.園芸植物大事典 3.ナツメヤシ.p.453.塚本洋太郎.総監修.小学館.1989.

23) 柏谷秀一・吉田智.平瀬作五郎のイチョウ精子発見と恩賜賞受賞-研究者・教育者としての生涯-福井県教育博物館.2021.10.30.(福井県教育総合研究所.調査研究情報

参考・引用文献中の誤りについて

G.S.カーク, J.E.レイヴン, M. スコフィ-ルド著. ソクラテス以前の哲学者たち(第2版).京都大学学術出版会.2011.p.391 :アリストテレス「自然学」第2巻第7章(誤)・・・(正)第2巻第8

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