アナクシマンドロスは神から脱却した<1>~奇想天才なる人物~

海は空気と土を含んでいます。さらに太陽の光で熱せられた時には、火を含んでいると言うことができます。ですから海は、すべて命あるものを産み出すのに役立つものを併せ持っているのです1a)。地上に生えるものは、すべて海から生じたのではないでしょうか1b)。例えば、海にいた生物が湖に取り残され、次第に水が減っていくことによって、ついには陸上生活に慣れざるを得なくなる場合です。陸上生活を始めることもありましょう1c)。最古にして最も有名な哲学者であるアナクシマドロスが、人間は魚から生じたとしております1d)(ブノワ・ド・マイエ著『テリアメド』:1748)

アナクシマンドロス(紀元前610-548~6頃)は奇想天才というべき人物である。森羅万象についての説明を神との関りと切り離して(神の否定ではない)、真にこの世の自然の仕組みはどのようになっているのか、計量器の無い時代に思考・想念のみによって解き明かそうとした。歴史的にはタレスの弟子とかで奇人のように軽くあしらわれてきてもいるが、実はどうなのか。

1.ヨーロッパ思想最古の言葉

κατά τό χρεών διδόναι γάρ αύτά δίκην καί τίσιν άλλήλοις τής άδικίας2a)

「必然に従って。というのはそれらは、相互にその不正の故に裁きと罰とを与えあうのである」2a)→「『収用』に従って。即ちそれらは、『不正合』の(克服において)『正合』と、それ故又相互への『配慮』とを〔これに〕帰属させる」2b)(ハイデッガー)。まあ、これだけで先を読むことをやめたい。どんなに説明されようと、分からない。少なくともこの文のみは、アナクシマンドロスが残した真正断片とされている2a), 3a)。ハイデッガーはこの文だけで一冊の本を書いたのだからすごい。ハイデッガーは、「諸存在にとって生成がそれからであるそのものへと消滅もまた必然にしたがってなされる。なぜなら、それらは時の秩序にしたがって、また相互に不正の償いをするからである」4)とは捉えずに、「『用い(Brauch: 必要、習慣)に沿って、すなわちそれらは不適合の(克服において)適合と、したがってまた相互への配慮を属させるから』と読み、存在がその接合組織(Gefϋge:継ぎ目)を維持し、その破れを修復しようとする存在そのものの動性であった」4)と解釈するらしい。

これには前文がある。「事物がそこからしてその生成を持つところのものへと、それらは又必然的に没収しなければならない。何故ならばそれらは、時間の順序に従って罪の償いをなし、又その不正の故に裁きを受けなければならないからである(ニーチェ)」2c)。ディールス(Diels)は「事物がそこからしてその生成を持つところのものへと、それらの消滅も又必然的に向かうのである。何故ならばそれらは、定められた時間に従って、その非道の故に相互に罰を受け、又相互に罪の償いをなすことになるからである」2c)、同じく(イェーガーの書では)「存在する諸事物はそこからそれらが生じ来ったまさにそのものへ摂理に従って消滅して行かなければならないであろう、何故ならばこれらの事物はその不正に対して時の判決に従って相互に罰金を支払い、償いをなさねばならないために」5a) とあり、「事物はその不正に対して相互に罰金を支払い、償いをなさねばならい」と読ませる5a)とある。それは、法廷場面の描写を表し、時が裁判官であり、裁判における刑を科すことを意味する5a)、との解釈である。なんとなく、現実的である。単純に、損害を与えた相手に対して、賠償金を取りすぎた場合には、罰金を払って償わなければならない、という意味で書いただけのことであればズッコケであるが、「取りすぎること」は不正なのである5a)。これは。。払い過ぎた税金を取り戻す、…か?

バーネットは「アナクシマンドロスは、世界を形成している相対立するもののあいだの争いから出発しているようである。つまり暖は冷に対立し、乾は湿に対立していた。これらは争っているのであり、一方が一方に対して優勢であることは『不正』であった。それゆえにそれらは、定まった時に相互に罰を受けねばならなかったのである」6a)としている。

この言葉、思想(哲学)は、或る意味都合よく、アナクシマンドロスのいろいろな言い伝えを解釈するのに用いられている。誰の解釈が適当であるのか誰にも分からないが、最初にこれを知らないと、哲学書に書かれているアナクシマンドロスの理解は浅薄(せんぱく)となる。

さらに全体を読むと何となく分かる。「彼は、存在するものの元のもの(始原)すなわち基本要素は『ト・アペイロン(無限なるもの)』であると語った。そのさい、始原について、この名称をはじめて導入した。彼は言う、それは水でもなく、その他のいわゆる基本要素のうちのいずれでもなく、何かそれらとは異なる無限なる本性のものであって、それからすべての諸天界およびその内部の諸世界は生ずる。そして存在する諸事物にとって生成がなされる源となるもの、その当のものへと消滅もまた必然に従ってなされる。なぜなら、それらの諸事物は、時の裁定に従って、交互に不正に対する罰を受け、償いをするからである7a)。なるほど、この世のものはあるものの対立によってなりたち、一方が滅せられて消えることもなく、その配慮によりまた新たに生まれ出る。この連続である。粒子と反粒子を意味しているのか。いや、『光と闇』である。

岩崎充胤 氏によると「『罰を受け償いをする』という句の原語は、当時の諸民族の紛争の裁決を表現する通用語であった」8a)とのことである。さらに「G・トムソンは紛争、すなわち社会集団間の闘争についての当時の社会表象を、自然界における万物の転換の過程のなかに投影している。この投影によって自然界の相互抗争、相互侵犯を通しての万物の転変の姿が浮かびあがり、自然にも社会にも共通の理法(ロゴス)があるように思われたのであろう」8a)と述べている。この言葉について「一切の存在するものはどれもみな、必然の定めにしたがって、生成・消滅しなければならない、なにものもその定めを免れることができない。万物の生成がそこから発し、そこへと帰るところのものである。存在するものは、みな、その犯した不正の罰を受け、その償いとして、相互に、時の順序にしたがって、その存在性の喪失を免れることができない。したがって、正義の裁きを、自己の存立そのものの否定として受けいれなければならない。このようにして、万物の存在の暫時性を通して全体としてのプロセスの均衡が保たれる(概略)」8a)と記している。

瀬戸一夫 氏によれば、「ギリシア固有の『償い』とは、互いに自閉した闘争から公明正大な競争に踏み出すときに、無益に肥大化した自滅的な消耗戦から共に脱却する、まさしく対等な『埋め合わせ』である」9a)とし、その精神性(罰と償いによる均衡)の例として、英雄アキレウスと王アガメムノンの和解、ソロンの不良債権処理を挙げている。そしてこの断片を「それぞれに固有で個性的な無数の秩序世界が、いかなる者も分け隔てすることのない『運命』(時の順序)にしたがって互いに競い合い、結果的に判明する不正を償い合うことで均衡するといった、ピュシス(自然)の神髄を語った」9b)と、ハイデッガーに近い論である。

さらに、佐藤康邦 氏は、目的論の起源に通じる発想であるとして、「生成と消滅とが表裏一体のものであるという捉え方のうちには自然の『定常性』の把握が認められるということである。そうなれば、この言葉のうちに、一定の状態の維持を目的とするシステムのあり方を示す考え方を、その意味での目的論的発想を見ることが可能となる」10a)と、考察している。いうなれば、生成と消滅は自然の安定性を維持することが目的である、と。

僭越ながら、見当違いな勝手な推測であるが《プロメテウスにより不正に火を得た人間に対し、ゼウスの策略により、パンドラの箱から災いをもたらした》11), 12), 13)、つまり人間たちへの不正の裁きに対して、神もまた裁きを受ける、という人の神への罰<神からの脱却:自然現象の動因における神の存在を斥ける思考>を暗に示していると、素人ながら思うのだが。

2.地球と宇宙はこうなっている!

2-1.地球は浮いている

アナクシマンドロスは、地球は円筒であると推測し、地球は浮いていると考えたのである。「大地はいかなるものにも支えられずに宙空に浮いている。それがとどまっているのは万物から同じように隔たっている(大地が真ん中に位置している)からである」3b)ソクラテスはこの説を確信しているとしてシミアスに語った。「わたしの信ずるところをいえば、もし大地は球状であって、かつ天空の中心に位置しているとするならば、それが落ちないためには、空気とかまたほかのこの種の強制力はなにひとつ必要としない。いな、その大地を支えるためには、天空そのものがすべての方向において均質なものとしてあるという条件と、大地自身の平衡性があればじゅうぶんなのだ。なぜなら、平衡を保っているものが均質なものの中心に置かれれば、或る方向により多く傾くとか、より少なく傾くとかいうことは、けっしてあり得ないからであり、つまりそれは、いずれの方向にも(かたよ)ることのないがゆえに、つねに均衡して、静止しているであろうからだ」14a)

一方、アリストテレスは「地球が静止しているのは一様性によるのだと説くひとたちもいる。アナクシマンドロスがそうである。中心に止住し最外周に対して一様の関係(等距離)にあるものが、上へにしろ下へにしろまた横へ動くにしろ動くのはいずれも同程度にふさわしくない、といって反対の方向へ同時に運動することもできない、かくてそれは必然的に静止していなければならないというのである」15a)と述べ、工夫をこらした説であるとしながらも、「中心におかれるものはなんでも、静止しなければならず、したがって火も静止することになろうから、大地に固有なことではない。もしもこの場所(中心)が土にとって、一様性の必然(強制)によって中心にとどまるとするならば、最外周に火が静止することの原因をも、たずねなくてはなるまい。また、それらの静止についてはたずねるが、それらの運動については、妨げるのものがない場合、或るものは上えと動き他のものは中心に向かって動く原因をたずねないのは驚くべきことである」15a)として、この説は真実ではないと退けた。

この一様性については、「いかに飢えかつ渇いていても、その烈しさが同程度なら、ひとは食物からも飲物からも一様にはなれている、けだし、このひとも必然的に飢え渇いた状態にとどまらなければならないから15a)と、地球の状態を、飢えと渇きを同じように感じながら食物と飲物から等距離にいるために動くことができない男の状態に例え16a)(アリストテレスの註釈をした『ジョン・ビュリダン(1338年歿(ぼつ))のロバ』の名で知られる15a);ロバが左右に同距離で同量のエサが置かれていたらどちらにも行くことができずに餓死する)(あざけ)っている。

これについて、ポパーは、「ニュートンの、非物質的で不可視の引力という観念を、ある程度、予知するものである16b)(アリストテレスは、ニュートン的力に類似の非物質的で不可視的な引力によって平衡状態に保たれているものとして考えている)16a)と、飢え渇いた『ヒト』の例を引力と捉えている。しかし、我思うに、食べ物に等距離であるがゆえに、どちらの方向にも行けずに足を踏み出しそうとしたときに、目移りがしてどちらに行くか迷いグルグル回りだしてしまう、のである。すなわち、人は自転をはじめるのである。これは引力を示唆するのではなく、地球の【自転】を示すものと思われる。と、観察経験によらない憶測をする(図ー1.参照)。

ところが! ここで見落としがちなのが、この人間と同じ個所に書かれている「ちょうど髪の毛をどの点も一様に引っぱれば、いくら強く引っぱっても切れない」15a)、という例えである。どの点も一様に引っぱってもブチ切れる、のであり、経験上、理論上、このたとえは奇異である。ここで、『一様に引っぱる』というところがポイントであるが、引張試験機を用いて材料の両端をつかんで引っ張ると、当然ながら伸びて(ひずみ)、降伏点がみられ、引張強さを超えて破断する。と、単純に思ってはいけない。なぜ、この誰でもおかしいという例を挙げているのか?と考えるのが、愚生‘おきな’である。これは、物体と物体の間に働く力を示しているのである。即ち、【引力】である。物体(地球)が中心にあって静止しているのは、物体と物体の間にある、ここでは髪の毛を例として、お互いに引き合う力があり、切れることがないためでる。もし、一様でない力が働いていると、切れてしまい物体は離れてしまうか、あるいは一方に引き寄せられて激突する。この不可視な力可視的に思い描きながらも、アリストテレスは否定している。

ここで、古代にこのようなアイディア(大地が宙に浮いていること)が可能なのか考えてみたい。地球が空中に浮いていることを思い浮かべるのは、太陽や月などを見ているとそれほど難しくない。支えもないのに浮かんでいる。太陽や月は大地から現れて沈んでいく。大地に激突するのでもなく、そこからまた逆に現れてくるのでもない。くるくる回っている。だとすると、大地の下は恐らく何もないはずだ。支えがあると、いつかぶつかって、太陽がちぎれるか地球がひっくり返る。もし、4本の脚がテーブル状の大地を支えているのであれば、その間を回るであろう。しかし、ここで想像してみよう。脚が大地を支えているのであれば、その脚は何が支えているのだろうか。さらに大きな大地か?おかしいではないか。重いものは地上に落ちる筈だ。なぜ、大地を支える脚ができるのか。滑稽である。そこまでサピエンスは阿呆ではない。浮かんでいるのであれば余計なことを考えなくていい。しかし、どうして浮かんでいるのか分からない。カルロも触れているが17a)、ここで、地球、いわゆる大地は落ちていくところ(向かう方向)がないからだ、と気がつく。つまり、落ちていくところは自分の立っている大地である

ポパーは「伝統的な経験主義的認識論と、科学の伝統的な史料編纂の仕事は両者とも、科学全体が観察から出発し、それからゆっくりと注意深く理論へ進んでいくというベーコン的神話に、深く影響されている。実際にはそれと非常に異なったものであるということは、ソクラテス以前の初期哲学者達を研究すれば、学ぶ事ができる」16c)と指摘する。「かれらの考えは、そのほとんどが、最もすぐれたものでも、観察とは何の関係ももっていない。科学の推測が、すべて観察から始まると主張することは的はずれである。大地の支えについてのアナクシマンドロスの理論は、(タレスよりも)一層高度に直観的であり、もやは、観測的類推も用いられていない。実際、それは観察されることがらに反するものである、と言えよう」16c)と述べている。異論はあるにせよ、この世の目にみえる観察結果(現実)からではなく、思考によってのみ、思弁的に導きだしたということか。続けて、「『大地は、・・・何ものによっても支えられていないが、すべてのものから等距離にあるという事実の故に静止したままでいる。その形は・・・太鼓(円筒形)の形に似ている』16b), 3b)、ここで、「大地が球ではなく太鼓型(大地と深さは3:1)3c)とさせたのは、大地の表面がどの点からみても平らであるとかれに教えた観察経験である」16d)と論じて、この観察こそが理論の妨げとなるとしている。なるほど、現実をみてしまった、知ったがゆえにバイアスがかかってしまったのか。

ポパーは、「アナクシマンドロスの大地が空間において何によっても支えられていないという観念と、その不動性の説明とは、観察事実の全領域においていかなる類似物をも持っていない。この観念は人類の思想史全体における最も大胆で、最も革命的で、最も驚嘆すべき観念の一つである。それは、アリスタルコスやコペルニクスの理論を可能にした」16b)と讃えている。

ポパーの科学思想については様々な論評がある。

2-2.天体はチューブ(円環)で穴が開いている。チューブは引力の代替である。

さて、月や太陽がなぜ地球に落ちもせず(月は落下しながら離れている)、円を描くようになっているのか。ある物体が円を描くには― 紐に結んだ物体をぶるんぶるん振り回すことを思い浮かべると―  中心となる物と物体を結ぶ何かが必要である。大地は中心にとどまり、車輪のように月や太陽は回転する。アナクシマンドロスがなぜ、円環(チューブ)という考えを思いついたのか3d)。これは後で出てくる「樹皮」3c)にヒントがありそうだ。そう、年輪である。まったく根拠のない空想であるが、切り株の年輪をみて(G.E.R. Lloydも書いているようだ)18a)、フムなるほどと。拙者は、層というとモーツアルトクーゲルを思い浮かべてしまうのだが。

大地が中心に止住しているのは万物から等距離にあるからではない。アナクシマンドロスの対称性の理論が破綻しているのは、「大地はすべてのものから等距離にあることになるが、宇宙の非対称性は次のことがらから容易にわかる。太陽と月があるということ、とくに、太陽と月が同じ側ある場合に、反対側にはそれらとつり合うものがない」16e)との指摘からである。しかし、アナクシマンドロスは、この反論として大地を回る円環(群)を奇想することによって〔等距離による静止〕を保つことができることを示した。つまり、太陽、月、星を球体ではなく、環(リング)の形態として考えたのである。月も太陽も星も地球のであるので、地球からそれぞれの距離はいつも同じで、等距離である。月と太陽が同じ場所に見えていても問題ない。したがって、環が地球を取り囲むには浮いていなければならないのである。逆にいうと、必然的に地球が浮いているのは輪(環)があるためである(図ー2.参照)。

中心にとどまるのは、月や太陽を回すためである。しかし、紐がない。この円環は、引力という見えない紐を知らない時代に、あくまで、それぞれの惑星が軌道を外れない、軌道に従って動かすための円環である。地球をとりまくそれぞれの円環によって軌道が決められている6b), 7b)。この車輪をイメージした運行となると、円環が回転しても飛んでいかない、大地とを結ぶ()(スポーク)にあたる、何か(力)を想定していたことになる。この運行の力は風の作用とも推測されるが7b)、炎の巻き起こす(風・空)力を想定していたのか、やはり不可視な力か、何とも。

後になってしまったが、アナクシマンドロスの宇宙の誕生についてみてみよう。「この世界の誕生のときに、永遠なるものから、熱いものと冷たいものとを生み出すものが分離し、これから生じた炎の球体が大地のまわりの空気を、あたかも『樹皮』が木のまわりを包むようにして、包み込んだ。そして、その球体が破裂し、多数の円環状のものに閉じ込められることによって、太陽や月や星ができた」3c)。これについて、ファリントンは「世界を構成している四つの元素(水、火、空気、土)は、いまよりかもっと層畳的な形に積み重ねて置かれていた、すなわち、土は最も重いので中心にあり、水がそれを(おお)い、霧は水のうえに、そして火がこれらすべてを抱きかかえる、というような形に。火は、水を蒸発させて、乾いた土地を出現させるが、しかしまた霧の量を増大させる。そこに圧力が生じて破裂する。ここに宇宙の火の皮層が破れて、多くの火の輪がそれぞれ霧の筒のなかにはめこまれて大地と海との周囲を廻るような形をとる。これはまさに宇宙という仕事場の模型図である。頭上で回転しているのを見ているところの諸天体は、実はあの霧の筒の穴であって、これらの穴を通して、そこにはめ込まれた火が輝いている」19)と説いている。

さらに星、月、太陽についてみてみよう。ヒュッポリトスは、「星辰は円形の火として生じた。それは世界に内在する火とは異なっており、大気によって取り巻かれている。それぞれの星には(よし)の茎のように、中空の通気路があって、その通気路に従って星は輝く(現れる)のである。そのため、通気路が塞がれてしまうと『蝕』となる」20a)、別訳では「諸天体は、火の環として生じ、宇宙の火から分離して、空気でとり囲まれている。呼吸する孔や或る円筒状の通路がある。諸天体はそこに現われる。したがって呼吸する孔が塞がると蝕が起こる。太陽の環、月の環、星の環があり、太陽の環は最も高く、星の環は最も低い(一部略)」6b)。最初の説明を読むと、星というのは円形で通気路の中を通って動いているようにも思わせるが、この理解は誤りである。どこが間違ったのかというと、星は円形としたことで、星はひとつの円と誤解する。星は環とすべきである。また通気路、通路という用語は、その中を通ると想像してしまうので、「筒状のある種の噴出孔」3b)とすべきで、星は地球の環となっていて、環にできている穴(円筒状:茎の穴に似ている)から星の火が覗くのである。「天体は空気の凝縮体で車輪の形をしており、火が充満している。そして、ある箇所に開口部があってそこから炎を噴出する」3d)。ここで、間違わないことは、星、月、太陽は地球のまわりにある円環そのものであり、円環が回っているのであり円環の中を星、月、太陽がぐるぐると回るのではない。円環は火で満たされている。その円環の穴から炎、すなわち星などが見える。

太陽の円環の大きさは大地の27倍or28倍、月の円環は18倍、星の円環は9倍?である6b), 7b)

太陽について

太陽は火の玉のように燃えている。アナクシマンドロスによれば、「太陽は『車輪』の形をして光を放っている。すなわち、車輪には(こしき)という窪みがあって、そこから車輪の外径に向かって()(スポーク)が伸び拡がっているのだが、それと同じように、太陽も窪みから光を放つことによって()の役割を果たし、そのために外部から見ると円形に光っている(太陽は、ラッパ状に窪んで狭まった部位から、(ふいご)のように、光を放っている)」3e)とある。円環と車輪が混在して分かりにくいが、円環は地球を取り巻く環である。ここでの車輪は、円環には車輪の(こしき)のような部分があり、鞴の羽口(はぐち)に似たところから勢いよく火を吹き出す、ことを例えている。これを意味することを思案すると、地上では、火(炎)は上に上り円形にはならない。普通は炎が円状になることはないと考えると、炎が穴から勢いよくふき出せば、上下左右どの方向にも一定の光を放ち、いわゆる丸くみえるはずだ。つまり、轂のような中心部から火を放つことで四方八方に輻が伸びる車輪のようだったのである。対称性とか、平等性の思想ではない。常に噴火するエネルギーとしてのマグマ(火)を山の中のように閉じ込めるには、円環という構造が必要だったのである。マグマは(こしき)の窪みから車輪の輻のように均等に吹き出す、と解釈する(図―3参照)。

月について

月は太陽と違って満ち欠けがある。これについて、「月は、通路(噴出孔)閉じたり開いたりするにつれて、或る時は()ち、或る時は()けるように見える」6b)あるいは、「月は、太陽のように、空洞な輪縁のある、火の充満した車輪(円環のこと)のようである。太陽と同じく(ふいご)尖口(とがりぐち)のように、ひとつの呼吸する孔をもって傾いている。車輪(円環)の回転のために月は蝕(月食)する)」6b), 3e)、とある。月の円環の孔(筒)の開閉は満ち欠けに関するものである。また、月食は車輪(円環)の傾き・回転による、あるいは、車輪(円環)の孔が塞がれるとき、のようだが釈然としない。ここで、太陽、月とも「火の充満した馬車の車輪(円環)のようである」6b)との記載から、先に書いたように太陽と月は一つの球体ではなくて、車輪のように回る円環の中に広がっている‘充満している火’そのものが太陽であり、月である。その光は円環に空いた孔から覗くので、丸く見える。何度もいうが、太陽、月は球体ではなく円環である、すなわち球体が円環の通路を通るのではなく、回転する円環の満ちている火(月は固有の火を有している)3e)を孔から生物は見ているのである(環には開口部があり、環内部の炎はそこから光と熱を放出する。太陽、月の環には一箇所だけ開口部がある。星には多数の開口部があると思われる。環に閉じ込められた環状の炎がその本体である)9c)

この円環が霧や空気であるなら(半)透明か?光は漏れないのか。筒は厚い雲をイメージしているのだろうか。バーネットは「空気の環が、それ自体可視的にならないで、どうして火を見えなくすることができるのかと(たず)ねるならば、そういうものが、当時のギリシア人が『空気』と呼んだものの特質であると答えられるであろう。たとえば、ホメロスの英雄が、『空気』に被われて見えなくなったときも、私たちは『空気』と英雄との両方とも正しく見抜きうる」6b)と記している。

ウーム、空気という透明でありそうで、空気と訳されているが、無色透明の空気ではなく、水が熱せられているから水蒸気いわゆる霧、(もや)のようなイメージあり、その中で姿も捉えられるし、また晴れ間もあり見えるのである。

このような穴からだけ光が覗くのであれば、なぜ、月と星が、太陽と月が一緒にみることができるのか、これを現実の世界でどのように表すのだろか?しかも地球から太陽の円環が最も遠く、次に月で、星が最も近い。月の前にある星が見えないのはなぜか。先輩のタレスの言うように、月は太陽によって輝いている3f)のではなく、月を炎としたのはそのためか。いや、月は固有の火を有している3e)からであろう。しかし星の位置をどうして間違えたのか。アナクシマンドロスは天才なのか、テオプラストスやヒュポリュトスの間違いか、あるいは別の理論が存在するのではないかと、空想してしまう。

星々について

アエティオスは「最上部に太陽が位置し、次いで月が位置し、それらの下に彷徨(さまよ)わぬ星々(恒星)と彷徨う星々(惑星)が位置している」3d)と恒星と惑星を区別して記録している。大地と月の間にある「星」の環について、バーネットは「この内側の輪によって説明される『星』とは、明けの明星、宵の明星である。(その他の)星はひとつの発光体としてはまだ認められていなかった。恒星は静止したもの(見かけの相対位置の変化が少ないもの)であるが、それぞれは固有の渦中で回転していると見なした」6c)と解釈している。が、カークの書にあるように、星々はいくつかの困難さをもたらしている7b)。星々の環の中心が大地の中心と同じであれば、地平線に沈まない周極星の説明がつかないとか、月の前にある星が隠れるなど。

我々は星を恒星、惑星と区別して認識しているが、「古代ギリシアの文献においては、明けの明星、宵の明星以外の惑星の名には、少しも言及されていない(宵の明星と明けの明星が同じであることを発見したのはパルメニデスまたはピュタゴラスとされる)」6d)とあるように、星は円環に散りばめられた火の屑であり、気にも留めていなかった、ので、火くずのようなものが月に隠れようがどうでもよかったのであろうか。と思っていると、ここでは論じないが、瀬戸一夫 氏の書9d)において、アナクシマンドロスの宇宙の構造、天体の環、太陽や月の回帰などいろいろな観点から詳しく説明されている。・・・ここまでにして 続編アナクシマンドロスは神から脱却した<2>に続く。

アイキャッチ画像

机に向かっている男はアナクシマンドロスのようにも思われる。右側に立っているのはヒトに知恵を授けたHomo  crow O. である。投げ入れているのは光合成薄巻スマホと察せられる。机の上でドラム缶型地球が浮いている。土間にはグノモン(gnomon:垂針盤)らしきものがある。なんとなく日本(Japoniæ)びいきにみえる。

Pietro Antonio Novelli 「Maupertuis – Opere. Lettere e carteggi」 1760をもとに創作した。

参考・引用文献(アナクシマンドロスは神から脱却した<2>の文献も含む)

1)ブノワ・ド・マイエ.ユートピア旅行記叢書12.ニコラス・クリミウスの地下世界への旅/テリアメド.多賀 茂・中川久定 訳.岩波書店.1999.1a)テリアメド 第六日目.p. 296、1b)同. 254、1c)同. p. 258、1d)同. p. 292、1e)同. 255-274.

2)マルティン・ハイデッガー.アナクシマンドロスの言葉.〔ハイデッガー選集IIII〕.田中加夫 訳.理想社.1957.2a)p. 48、2b)同. p. 114、2c)同. p. 7-9.

3)ソクラテス以前哲学者断片集.第Ⅰ冊.内山勝利 編集.内山勝利・国方栄二・藤沢令夫・丸橋 裕・三浦 要・山口義久 訳.岩波書店.2000. 3a)第12章 アナクシマンドロス(B). 1シンプリキオス.p. 181、3b)同省. アナクシマンドロス(A).11ヒュッポリュトス.p. 167-168、3c)同. 10擬プルタルコス.p.166-167、3d)同.18アエティオス.p.174、3e)同.21アキレウス・タティオス、21, 22アエティオス.p.175-176、3f)内山勝利 訳. 第Ⅱ部 紀元前6世紀・5世紀の哲学者たち.第11章 タレス(A)学説17a, 17b. アエティオスp. 154、3g)同. 30アエティオス.p. 179、3h)同. ケンソリヌス p. 180、3i)アナクシマンドロス(A). 9シンプリキオス.p.165、3j)第13章.アナクシメネシス(A). 5シンプリキオス. p. 185、3k)アナクシマンドロス(A). 17シンプリキオス.p. 173、3l) 同.14アエティオス.p. 169.3m)第13章.アナクシメネシス(A). 5シンプリキオス. p. 184, 6擬プルタルコス. p. 185.

4)ハイデガー事典.ハイデガー・フォーラム編.第3編 人名編. アナクシマンドロス.日下部吉信.p. 456. 昭和堂.2021.

5)ヴェルナー・イェーガー.ギリシャ哲學者の神學.神澤惣一郎 譯.早稲田大学出版部.1960.5a) 第二章 ミレトス自然哲学者の神学.p. 46-48、5b)第二章 同. p. 31-33、5c)同. p. 42-44.

6)ジョン・バーネット.初期ギリシア哲学. 西川 亮 訳.以文社.1975.6a)第一章 ミレトス学派.(二)アナクシマンドロス.一四. p.84-86.;「空気とか」(p. 84)について「自然学」204b26では「空気とか62a)である。6b)同. 二一. p. 102-103、6c)同. p. 104-105、6d)序論.一二 バビロニア人の天文学(3). p. 45、6e)第一章 ミレトス学派.(二) アナクシマンドロス. 二二 動物.p. 106-108、6f)同. 一六 究極的基体は無限である.p. 90-91、6g)第二章 学問と宗教.(二) コロプォンのクセノプァネス.五五 生涯.p. 164.

7)G. S. カーク, J. E. レイヴン, M. スコフィ-ルド.ソクラテス以前の哲学者たち(第2版).内山勝利・木原志乃・國方英二・三浦要・丸橋裕 訳.京都大学学術出版会.2011. 7a)内山勝利 訳. 第3章 ミレトスのアナクシマンドロス.Ⅱ.アナクシマンドロスによる原初の実在,ト・アペイロン(無限なるもの)の本性.p. 141-142、7b)同. Ⅵ.宇宙論, 現にある世界の構造 (ⅱ)諸天体.p. 177-180、7c)同.Ⅶ.動物および人間の発生. p.184-186、7d)同. (ⅳ)大地は干上がりつつある.P. 182-184、7e)同. p. 144-146.

8)岩崎充胤.西洋古代哲学史[1] ギリシア・ポリス社会の哲学.未来社.1994.8a)第一部ギリシア・ポリス社会の哲学.第一章 初期のギリシア哲学.第一章の概説.Ⅰイオニアの哲学.1ミレトス派 (2)アナクシマンドロス.p. 80-82、8b)同. p. 78、8c)同. p. 72.

9)瀬戸一夫.知識と時間.勁草書房.2003.9a)第二章 宇宙の初期状態と天空構造.第二節 総体的な諸原理の総合.p.65-66、9b)第三章 無限の根本原理と世界創世.第三節 運命的な世界史の終焉.p. 133、9c)第二章 宇宙の初期状態と天空構造.第三節 普遍的な世界像の構想.p.80、9d)同. p. 80-86、第三章 無限の根本原理と世界創世.第一節 周期的な高湿域の移動、第二節歳差的な天体環の運動. p. 87-124.

10)佐藤康邦.カント『判断力批判』と現代.岩波書店.2005.10a)第一章 目的論の諸相.一 目的論の起源.p. 9-10、10b)第八章 反省的判断力と生命科学.二 カントの進化論.p. 255-261.

11)ヘーシオドス.仕事と日.松平千秋 訳.パンドーレーの物語.p. 16-24. 岩波書店.1986.

12)ヘシオドス.神統記.廣川洋一 訳.イアペトスの子.p. 66-74、女の誕生.p. 74-79.岩波書店.2021.

13)マーティン・J・ドハティ.ギリシア神話物語百科.岡本千晶 訳.第1章 宇宙論と創造.p. 54-64.原書房.2023.

14)プラトン全集1.エウテュプロン・ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン.今林万里子・田中美知太郎・松永雄二 訳.岩波書店.1980.14a) パイドン.松永雄二 訳.五八.p. 323-325.

15)アリストテレス全集 4.天体論 生成消滅論.村治能就・戸塚七郎 訳.岩波書店.1968.15a)村治能就 訳.天体論.第二巻 第十三章(295b, 296a)p. 94-95、同. 訳者註(22)p. 178、15b)戸塚七郎 訳.生成消滅論.第二巻 第二章(329a)訳者註(5)p. 377.

16)カール・R. ポパー.推測と反駁.藤本隆志・石垣壽郎・森 博 訳.法政大学出版局.1980.16a)第五章 ソクラテス以前の哲学者たちへ帰れ.原注:(2)p. 734、16b)同. p. 225、16c)同. 224-225、16d)同. 227、16e)同. p. 228.

17)カルロ・ロヴェッリ.カルロ・ロヴェッリの科学とは何か.栗原俊秀訳.河出書房新社.2022.17a)第4章.虚無のなかで宙づりのまま空間を浮遊する大地.p. 83-87、17b)第3章.大気現象.宇宙論的自然主義と生物学的自然主義.p. 70.

18)荒川 紘.アナクシマンドロスの宇宙論における方法.科学基礎論研究.17(4).1986.18a)3. p. 183、18b)1. p. 181.

19)B. ファリントン.ギリシヤ人の科学(上).出 隆訳.第二章.ギリシヤ科学の主なる時期―イオニアの夜明け.p. 46. 岩波書店.1956.

20)ヒッポリュトス.キリスト教教父著作集 19.全異端反駁.大貫 隆 訳.教文館. 2018. 20a)第1巻.自然哲学者 アナクシマンドロス 六.p. 73-74、20b)同. クセノファネス 一四. p. 82.

21)巴陵宣祐.生物學史.上巻.第二章 初期ギリシアの自然哲學.イオニアの哲學者 二、アナクシマンドロス.p. 37-38.日本出版配給.1941.

22)八杉竜一.進化論の歴史.岩波書店.1973.22a)一 進化論前史.1 アリストテレス以前.p. 2-3、22b)同. p. 35.ショイヒツァーの「オオサンショウウオ」を「魚竜」と誤記。22c)二. 十八世紀の進化論.3 フランスにうまれた進化論.p. 49-51、22d)同. p. 52-58. 22e)5 エラズマス・ダーウィン.p. 84-85

23)ミシェル・モランジュ.生物科学の歴史.第1章 古代ギリシアとローマ時代.時代を越えて.アナクシマンドロスと原子論者.p. 22-24.佐藤直樹 訳.みすず書房.2017.

24)深津武馬.AIST Today. 世界初、微生物から多細胞生物へのゲノム水平転移を確認―生物進化論などへ影響か.p. 5-7. 2003.1. https://www.aist.go.jp/Portals/0/resource_images/aist_j/aistinfo/aist_today/vol03_01/vol03_01_p05_07.pdf

25)デイヴィッド・クォメン.生命の<系統樹>はからみあう.第6部 トピアリー.p. 266-270. 的場知之 訳.作品社.2020.

26)宮田隆.分子からみた生物進化.第16章.生物最古の枝分かれ.p. 300-303.講談社.2014.

27)ラマルク.進化學典籍叢書1 動物哲學.小泉 丹・山田吉彦 譯.岩波書店.1927.27a)第四章 動物に関する全般的見解.p. 131.

28)岸本沙耶・宇野雅晴・岡部恵美子・農野将功・西田栄介.獲得形質は遺伝する?―親世代で受けた環境ストレスが子孫の生存力を高める―エピジェネティック.

jaresearchresearch_results2016documents170109_101.pdf (kyoto-u.ac.jp)

Environmental stresses induce transgenerationally inheritable survival advantages via germline-to-soma communication in Caenorhabditis elegans. Nature Communications. DOI: 10.1038/NCOMMS1403

29)アリストテレス全集 7.動物誌 上.島崎三郎 訳.岩波書店.1968.29a)第6巻 第10章. (565a)、(565b) p. 192-193、29b)第1巻 第1章. (487a)p. 5、29c)第6巻 第14章. (568a)p. 198、同. 訳者註(19)p. 397、29d)第1巻 第1章. (487b)p. 6、同. 訳者註(26) p. 254、29e)第5巻 第19章. (551b), (552a)p. 160.

30)佐藤 哲.講座 進化⑦ 生態学からみた進化.柴谷篤弘・長野 敬・養老孟司 編.東京大学出版会.1992.29a)6 環境としての他者の行動.2魚類における子の保護.p.204-206.

31)カント全集 第八巻.判断力批判.高坂正顯・金子武臧 監修.原 佑 編集.原 佑 訳.第二部 目的論的判断力の批判.付録 目的論的判断力の方法論.第八〇節.p. 371.理想社.1965.

32)アリストテレス全集 9.動物運動論 動物進行論 動物発生論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969. 32a)動物発生論.第3巻 第11章. (762a)p. 237、同. 訳者註(11)p. 388.

33)ジョン・グリビン、メアリー・グリビン.進化論の進化史.水谷 淳 訳.早川書房.2022.33a)第Ⅰ部ダーウィン以前 第1章 曇った鏡に映して.自然は流転する.p. 28-30、33b)同. 第2章 偽りの夜明け.発生の謎.p. 54-56.

34)アリストテレス全集 8.動物誌 下 動物部分論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969.34a)第8巻 第二章.陸上動物と水生動物他.訳者註(3).p.139、34b)同. (589a)p. 5-6、34c)同. 訳者註(10). p. 139、34d)同. (589b)p. 7、34e)第9巻 第四十八章.(631a)イルカの愛情深い性質.p. 113—114.

35)矢島道子.化石の記憶.東京大学出版会.2008.35a)第2章 化石をめぐる時間.2.6 変化する復元像(4)たくさんの龍たち.p. 65、35b)第5章 自然の遊び・自然の冗談.5.4 ヨハン・ショイヒツァー.(1)大洪水説、(2)罪深い人間の化石.p. 142-145、 35c) 第3章 日本にやってきた化石研究者.3. 4 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト.(4)オオサンショウウオ.p. 95.

36)アリストテレス全集 6.霊魂論 自然学小論集 気息について.山本光雄・副島民雄 訳.岩波書店.1968. 36a)副島民雄 訳.自然学小論集.第十章 呼吸について. (476a) p. 313.

37)マーティン. J. S.ラドウィック.化石の意味.第1章 化石物.11.p. 59. 菅谷 暁・風間 敏 共訳.みすず書房.2013.

38)松井正文.これからの両棲類学.松井正文 編.裳華房.2005.38a)第Ⅰ編 両棲類学の現状.1章 両棲類学と日本の現状.1-1 はじめに―両棲類とは―.p. 2、38b)1-3 日本における両棲類研究の歴史.p. 8.

39)Andrias scheucheri.Wikipedia. This page was last edited on 30 December 2023, at 07:34 (UTC). https://en.wikipedia.org/wiki/Andrias_scheuchzeri

40)荒俣 宏.世界大博物図鑑第3巻.両生・爬虫類.平凡社.1990.40a)両生類. オオサンショウウオ.p. 17.(展示物の化石表題は「Homo diluvii testis」であるが、本書の解説では「Homo tristis deluvi testes」(大洪水を目撃した哀れな人類)と記載)、40b)同. p. 20.

41)杉谷政樹.歴史の情報蔵.第90話.「ファウナ ヤポニカ」.三重県立博物館.

「ファウナ ヤポニカ」
三重の歴史がよみがえる。歴史の情報蔵

42)異国叢書 シーボルト江戸参府紀行.第二. 七 京都より江戸への旅行.p409.呉 秀三 譯註.雄松堂書店.1966.

43)L. B. Holthuis・T. Sakai(酒井 恒).PH. F. VON SIEBOLD AND FAUNA JAPONICA(シーボルトと日本動物誌).Dr. v. Siebold. Von Siebold’s and Burger’s contributions to Japanese Zoology. Ad I. C. 学術書出版会.1970.43a)Chapter 3. Von Siebold’s and Bürger’s contributions to Japanese Zoology. c. Siebold’s journey to Edo and his zoological collections. 27 March. p. 66-67: PART Ⅱ.《和文編》章3 フォン・シーボルトとビュルゲルの日本の動物学への貢献.c. 江戸参府と日本の動物学資料.3月27日.p. 258-259.(「Choan Minato」を「 長安」と記載)、43b)同. b. Von Seibold’s and Bürger’s collections. 3. Ad I.C. p. 59:同(和訳). b. フォン・シーボルトとビュルゲルの蒐集品. 3. I.C. p. 254、43c)同. 4. p. 62:同(和訳). 4. p. 256、43d)Chapter 4. Von Siebold’s Fauna Japonica. d. Reptilia. p. 75:章4 フォン・シーボルトの日本動物誌.d. 爬虫類(Reptilia). p. 266.

44)松井正文.オオサンショウウオの属名について.爬虫両棲類学会報.p. 75-78. 2001(2)

Table 1の「1837」は「1836」と思われる.

45)Newton(ニュートン)別刷.最初の生命から哺乳類まで 「生命」とは何か いかに進化してきたのか.2 生命が大進化したとき.「上陸への大進化」.協力 籔本美孝.p. 90-95.ニュートンプレス.2007.

46)J. A. クラック.魚のサイエンス.魚から四肢動物へ 見えてきた上陸前後の変化.冨田幸光 訳.p. 108-116. 別冊日経サイエンス(233).日経サイエンス.2019.

47)Neil H. Shubin, Edward B. Daeschler, and Farish A. Jenkins, Jr. Pelvic girdle and fin of Tiktaalik roseae. January 13, 2014, 111 (3) 893-899.

Pelvic girdle and fin of Tiktaalik roseae PNAS.

ひれから足へ、3憶7500万年前の化石に進化の節目. 米研究.AFPBB News. 2015.1.15. 2014

ひれから足へ、3億7500万年前の化石に進化の節目 米研究
【1月15日 AFP】約3億7500万年前の化石が進化論に新たな光を投じるとした研究報告が13日の米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された──研究は脊椎動物が海から陸に移り住むようになった後に初めて大きな後ろ足が現れたと...

48)倉谷 滋.リレーエッセイ<15>胚発生はいったい何を反復するのかー個体発生と系統発生の悩ましい関係―.日本進化学会ニュース. 18(3).p. 1-5.2017.

49)Thomas Henry Huxley. Evidence as to Man’s place in nature. p.65. Williams and Norgate. 1863.

50)チャールズ・R・ダーウィン.ダーウィン著作集1.人間の進化と性淘汰Ⅰ.長谷川眞理子 訳.1999.第1部 人間の進化.第1章 人間が何らかの下等な種に由来することの証拠.胚の発生.p. 23.

51)倉田 滋.岩波 科学ライブラリー108 個体発生は進化をくりかえすのか.3 法則か傾向か,偶然か必然か. ヒトの起源とネオテニー.p. 59. 岩波書店.2005.

52)ヘーゲル全集11.哲學史.上卷.武市健人 譯.岩波書店.1934.52a)第1部 ギリシャ哲學史.第1節.第1期.第1章 第1期の第1項.A イオニヤ學派の哲學.2 アナクシマンドロス.p. 239-244、52b)同. 3アナクシメネス.p. 251. (同書:1996(第3刷)p. 247-252も使用した).

53)G. W. F. ヘーゲル.哲学史講義 上巻.長谷川 宏 訳.河出書房新社.1992.53a)第1部 ギリシャの哲学.第1編 タレスからアリストテレスまで.第1章 タレスからアナクサゴラスまで.A. イオニアの哲学 二. アナクシマンドロス.p. 172-175、53b)同. 三. アナクシメネス. p. 180.

54)G. W. F. Hegel. Werke in zwanzig Bӓnden 18. Vorlesungen über die Geschichte der Philosophie. I. ERSTER TEIL. GESCHITE DER GRIECHISCHEN PHILOSOPHIE. A. Philosophie der Ionier. 2. Anaximander. p. 212. Suhrkamp Verlag. 1978.

55)佐倉 統.進化論の挑戦.第1章 進化と進化論の歴史.1 自らのルーツを求めて―進化論.p. 20.角川書店.1997.

56)栗原 隆.変容(Metamorphose)と進展(Evolution).シェリング年報.28号.日本シェリング協会.2020.55aはじめに.p. 74、56b)1. シェリングにおけるメタモルフォーゼ把握.p. 75.

57)ゲーテ全集 14.潮出版社.1980.57a)野村一郎 訳.植物生理学の予備的研究.p. 112、57b)色彩論.―教示編―.まえがき.p. 308.

58)ゲーテ.自然と象徴 ―自然科学論集―.高橋義人 編訳.前田富土男 訳.冨山房.1999.58a)第4部 色彩論.5 反ニュートン.i 光学か色彩論か.p. 318、58b)第三部 形態学.2 メタモルフォーゼ.ⅱ植物のメタモルフォーゼ.p. 171.

59)ヘーゲル.自然哲学(下).ヘーゲル哲学体系初期草稿(三).本多修郎 訳.未来社.1984.59a)(三)有機的なもの.二、植物的有機体.(α)最初の地としての植物.p. 225, (β)植物の成長における非有機的原素の流入.p. 228-229、59b)同. (a)光のもとにおける植物の呼吸作用.p. 231、59c)同. 訳注. 二三一(一).p. 360、59d)(一)力学.三、質料.b[彗星圏] 訳注. 六五(二)p. 336.

60)ヘーゲル.自然哲学(上).ヘーゲル哲学体系初期草稿(二).本多修郎 訳.未来社.1973.60a)(二)地球系.A 力学.BB 槓桿.〔光と闇との統一としての個別性のエレメント〕訳注. 一三四(一). p. 340、60b)(一)太陽系. A運動の概念. [B]B [空間]〔絶対的空間-面・線-点の総体〕訳注. 五六(一). p.325.

61)林 克彦 他.雄細胞だけでマウス誕生、哺乳類で世界初 iPSから卵子.日本経済新聞.2023年3月15日 19:00.  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC152NB0V10C23A3000000/

K. Murakami, N. Hamazaki, N. Hamada, G. Nagamatsu, I. Okamoto, H. Ohta, Y. Nosaka, Y. Ishikura, T. S. Kitajima, Y. Semba, Y. Kunisaki, F. Arai, K. Akashi, M. Saitou, K. Kato & K. Hayashi. Generation of functional oocytes from male mice in vitro. Nature. (615). p. 900-906. 2023(Published online: 15 March 2023)

62)鎌田柳泓.日本思想大系42.石門心学.心学奥の桟 上之巻.p. 411-412. 柴田 実 校注者.岩波書店.1971.

63)アリストテレス全集 3.自然学.出 隆・岩崎充胤 訳.岩波書店.1968、63a)第3巻 第五章(204b)p.101-102、63b)第1巻第四章(187a)p. 17、63c)同. 訳者註(6)p. 382、63d)第3巻 第四章(203b)p. 95-96、63e)第3巻 第四章(204a)p. 97-98、同訳者註.(24)p. 414、63f)第1巻第四章(187a)訳者註(3)p. 382.

64)渡辺潤一.眠れなくなるほど面白い 図解 宇宙の話.第6章 ここまでわかった!最新宇宙論.47 宇宙はいくつもあるの? p. 126-127.日本文芸社.2022.

65)小松研吾・永原和聡.Newton(ニュートン).無とは何か.PART3 究極の無.輪廻する宇宙、ブレーンワールド.ニュートンプレス.末次祐介・橋本省二・橋本幸士 監修.p. 62-65.2019.39(5).

66)柄谷行人.哲学の起源.第3章 イオニア自然哲学の特質.2 運動する物質.p. 97-100.岩波書店.1997.

67)斎藤慶典.フッサール起源への哲学.第四章 身体と私.3. 私―アクチュアリティかヴァ―チャリティか.p. 197 -199.講談社.2002.

引用、参考文献にある誤植等を記す

6)ジョン・バーネット.初期ギリシア哲学. 西川 亮 訳.以文社.1975.

p. 84. 12行「空気とか」→ アリストテレス「自然学」204b26は「空気とか」.正誤は不明.

22)八杉竜一.進化論の歴史.岩波書店.1973.

p. 35. ショイヒツァ―が発見した化石骨は、じつは「魚竜」(誤)→「オオサンショウウオ」(正)

43)L. B. Holthuis・T. Sakai(酒井 恒).PH. F. VON SIEBOLD AND FAUNA JAPONICA(シーボルトと日本動物誌). 学術書出版会.1970.江戸参府と日本の動物学資料.3月27日.

p. 258-259.「 長安」→「 長安」(正?).資料(40, 41)は「湊」であるが、戸籍上の記載は不明.

44)松井正文.オオサンショウウオの属名について.爬虫両棲類学会報.2001(2).

p. 75-78. Table 1:1837年→1836年(正?)

59)ヘーゲル.自然哲学(下).ヘーゲル哲学体系初期草稿(三).本多修郎 訳.未来社.1984.

p. 197、訳注. p. 354.

うどん病(誤)→うどんこ病(正);植物病理の表記は「うどんこ病」である.

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