自然学者の始祖 タレス ~水と魂~

(タレス) 何もかも水から出て來たのだ。何もかも水で持ってゐるのだ。大洋(オケアノス)。どうぞ己達の(ため)に永遠に働いてゐてくれ。一番新しい性命を保たせてくれるのはお前だ。 (反響) 一番新しい性命の出て來る源はお前だ。- – – (皆々) 優しく、惠ある風を(たた)へむ。()しき事多き岩室(いはむろ)を稱へむ。こゝなるもの皆祀らばや、(つち)(みづ)()(かぜ)の四つを皆。ゲーテ『フアウスト』(森林太郎(森 鴎外) 譯)1) 水(みづ: 古語)

ホムンクルス(ガラス瓶の中で人工合成によって生まれた小人:発光する)が完全な身体を得るために、アナクサゴラス(火山論者:火成論)と論争したタレス(原水論者:水成論)につれられて海神(ネエレウス)に会い、プロテウス(變形へんけいの神)を紹介されて教えを乞いに行く。広い海の中で発光体(炎)である自らを海に流れ出して同化する。岩室とアルケーの四元素を讃えて幕を引く(参照:時田郁子 著.ホムンクルスの秘密)42)。最も興味のあるタレスとアナクサゴラスの論議について「これは全体の筋には関係ないから、飛ばしてもよろしい」と、石倉小三郎 氏(ファウスト解説)43)。。。😟

七賢人タレス - アモル・サピエンティアイ

月は太陽によって照らされている。フムフム。太陽は土でできている。ウーム。天体は土でできているが燃焼状態*にある 2a), 3a)。ナニ?

*太陽も月も星も灼熱状態にある水蒸気であって、これらはわれわれの頭上を越えて遥か高いところにある水のそらを運航し、それからこの大地そのものの浮かんでいる海のうえを廻って、それぞれ再び東方から昇るために所定のたまり場に向かって運航する2a)・・・ここに『神』の存在はない。(アナクサゴラスは「日は石、月は土」と言ったとされる4a)。タレスのことばについてはストア派の歪曲なども指摘されている5a)

1. 魂について

  • 1-1 πάντα πλήρη θεών

アリストテレスが知恵の愛求(自然学者)の始祖6a)と記したイオニア派のタレスは、神の意思からの脱却(神々によらず)として、神によって物質が動かされているのではなく、(生命をもち)物は自ら動くと考えたようだ(この自ら動くという思想が要である)7a)。「マグネシアの石(磁石)と琥珀(静電気力)を証拠にして、無生物にさえも魂(生命)を賦与した」5b), 8a)、「磁石は鉄を動かすがゆえに、霊魂をもつ(霊魂は何かを動かすことのできるもの)」9a)と言い伝えられている。これは磁石や琥珀の引き合う力から無生物の中の生命を洞察したと言われる。すべてのものに魂が宿ること『万物は神々に充ちている:πάντα πλήρη θεών』についてアリストテレスは、「或る人々は(宇宙)全体のうちに霊魂が混合されていると主張する。ここからしてタレスも『万物は神々に充ちている』と考えるにいたったのだろう」9b)と推察している。

バーネットは、この『万物は神々が充ちている』 10a)という言葉を過大視してはならないと諭しているが11a)、イェーガーは「彼の自然学的教えが同時に彼にとって形而上学的性格をもつ ― ことを示している」12a)というように、世界はなんらか(・・・・)()意味(・・)で生きており5c)、全ての質料(hyle)は生命(zoe)をもつという、物活論(hylozoism) 13a)(生命または霊魂を外部からこの世界に入り来たったものとは考えず、生命、霊魂あるいは事物の運動の原因を物質に内在しているものと考える)2b)の先駆け的思想と解釈するのが妥当と思われる。

タレスの言う魂(不死とされる)8a)とは、ものを動かしいているもの(・・)であるが、神が魂に置き換わったということか。神も魂も似て非なるようなものであるが、同類にも思えてしまうのだが。

  • 1-2 プラトンとアリストテレスの魂

魂についてプラトンは神々を否定するもの‟若者“への論駁を考える中で「魂は自分で自分を動かすものである。あらゆる変化や運動の始源であり、消滅の原因でもある。魂は運動変化の始源であった以上、万物の中で最も古い(魂は物体よりさきにあった)。また、魂は天をも統括している(天にあるすべてのものを導く)。魂は神である」(アテナイからの客人)10b)と記している。しかしながら、ティマイオスでは「神は、魂と身体とでは、前者はその主人となり支配するものとして先になるものとして構成した」14a)とあり、神によって魂は創られたのである。プラトンの魂は同・異・有からなり、その分割に数列、さらに天体との運動なども加わり14b)、理解するのは困難である。ヒッポリュトスの記載では「プラトンは、ある魂には善悪があり、すべての魂は不死である。魂は生まれたものであるが、神の御心によって不滅であると言っていた。また別の者は、プラトンは、魂は合成されたもので、可滅的なものだと言った。さらに身体から身体へ転生して変容する説に同意していた」15a)とある。プラトンにおいては<神が魂の善悪を裁く>のである10c)

アリストテレスは魂について別の深い考察を行っており、「人々は霊魂を運動感覚(認知力)非物体性によって規定している」9c)として論じている。「霊魂は物体ではない。霊魂とは可能的(質料)に生命をもつ自然的物体(動植物のような有機体)の第一(活動していない状態)の現実態(形相)である」9d)。いいかえると「霊魂は実体、それも可能的に生命をもつ自然的物体の形相という意味での実体である」9d)と。つまり、石とか煉瓦とかのような無機物ではなく、生きているものの中にある、「霊魂は身体の実現すべき目的であり、身体はその目的のための道具である」9d)。アームストロングは、ずばり「肉体を現実的に生命をもつ肉体たらしめるものが心魂である」16a)と述べている。さらに、アリストテレスは、「魂は身体から分離されうるものである」 9d)とし、プラトンとの違いは「魂は身体において消滅する(個別の魂は消滅する)」15b)のである。

魂の捉え方は様々であり、定義も難しい。鬼太郎の漫画で口から魂が出てくるのを思い浮かべると、一つの生命体に宿るのは一つの魂と考えたりもするが、この時代(前5世紀)には「魂は身体のあらゆる部分に宿っている(分散している)」5d)と考えていたらしい。

また、アリストテレスは「動物や植物は土の中や水の中に生ずるが、これは土の中に水があり、水の中には気息(空気:プネウマ)があり、すべての気息の中には霊魂の熱があるからで、したがって、或る意味ではすべてのものが霊魂(神々)に満ちているわけである。それゆえ、霊魂がとりこめられさえすれば、生物はすぐに形成されるのである。実質的な流動体が熱せられると、霊魂(気息)が取り込められ、泡のような小胞ができる。形成される生物の類は霊魂の取り込め方、取り込めの起こる場所と取りこまれる物体にある」17a)と述べている。 話は変わるが、ここで面白いのは下線部分『海水のようなものが熱せられると、コアセルベート(あるいは細胞)のようなものができる』と解釈17b)されうることである。これは現在における、海底の熱水から生命が生まれたとする<深海熱水説>と酷似するものである。JAMSTEC(海洋研究開発機構)は「深海の熱水活動域において析出した鉱物が沈殿してできたチムニー(煙突状の噴出孔)の内部に小さな多くの孔ができる。この孔の中での代謝により(無機物から有機物へ)細胞の原型が発達して生命の誕生につながった(抜粋)」18)と推測している(生命の誕生については陸上温泉説などもある)。チムニーやその周りには鉱床(海底噴気堆積鉱床)が形成され、原始の生態系と考えられる環境となっている。この研究に大発見を期するが、浅慮ながら生命発生にとって、()()必要(・・)()もの(・・)があると。

  • 1-3 ルクレティウス 命と精神

ルクレティウス(前94頃-55)は寺田寅彦が驚愕したように、紀元前における恐るべきパラダイムに到達した科学者である。(「原子論は実験的根拠が薄弱で、遺伝など他の記述も推測でしかなく、詩人、哲学者であっても科学者ではない」19)との評もあるが)。デモクリトスの思想「魂と理性(知性)は同一のもので球形の原子からなり、万物の間に浸透して生き物を動かす(物体は霊魂によって動かされる)9e)20a)を受け継ぐが、精神(=心)と魂を分けて考えたい。 まず、『命』について「体を多く切り取られてもしばしば体(四肢の中)には生命が残る。それと反対に、<熱>の粒子(原子)が逃げ<空気:息>が口から出てしまうと、生命(魂)は血管をみすて骨から去る。<風(息)>と温かい熱の種子(原子)となるものが(四肢の中に)生命をとどまるようにさせている。それゆえ、体の中に生命を支えるとが存在し、死の際に(四肢から)去ってゆく」21a), 22a)とある。ここでは、心(精神)も魂も体の一部であることを説いているが、命とは熱であり(生物は熱なしに生存しない9f)、生きているとは魂ではなく息(呼吸)であり(霊魂は生物に運動を供給する、呼吸が生きている特徴である:デモクリトス・レウッキポス)9g)心臓の鼓動(拍動)である(有血動物において霊魂の感覚能力の根源も栄養能力の根源も心臓にある9h)。死滅はその根源の熱が失われることによる9i))。ついでながら、アリストテレスの書には「亀は心臓を取り出しても長い間生きる」9i)とあり、最近の報告<低酸素下で孵化したカミツキガメの心筋細胞は、無酸素の状態でも通常の大気中と同様に動く>は興味深い。

プシュケー まず、イェーガーの書からプシュケー(霊)魂(ψυχή)の過去を紐解くと、<本来は、生存者における「呼吸」や「気息」の霊魂であり、「息」と結びつく「気息的な霊魂」の概念である。ホメロスはプシュケーを生きている人間に対して「生命」と呼び、身体から離れて逃亡する「亡霊」をもプシュケーとなった。プシュケーに、テュモス(θυμός)のもつ精神、意識、心、感情などの意味を吸収していったようである。ラテン語の「anima」には生命・霊魂・息の意味が含まれている。死の際身体を離れ思考もせず感じもしない生命霊(ψυχή)と、身体的器官や現象と結合する意識霊(θυμός)、その合一により身体に依存せずさまよう霊魂となった>12b)。魂は生物の命であり、死後に体内より抜け出す生命、これが魂である。と解する。

精神について。ルクレティウスが精神と魂を分けて考えているのは、「アナクサゴラスは、精神(知性・理性:ヌース)は他のものから働きを受けず、他のものどもとも共通のものをもたない」9c)とした思想から来ていると推察する。ルクレティウスは「頭として全身を支配しているものは思考(悟性)で、心(智)とか精神とよぶもので、胸の中央に位置している」21b, 22b)とある。さらに、「精神と魂は有形的(物体的)なものである21c, 22c)。精神は極度に微細(小さく)であり、滑らかで丸い原子で構成されている」21d), 22d)と断言した。つまり、精神は化学物質であることに言及している。精神を喜怒哀楽のような感情、あるいは痛みや感覚、想像、幻覚を引き起こす物質(神経伝達物質)として考えているように思われる。具体的には、セロトニンあるいはエンドルフィンのような快楽や幸福感、鎮痛作用のある化学物質をイメージしているのだ。確かに、この時代、プリニウスの博物誌でも痛みを和らげる薬草ククルス(イヌホオズキ)23a), 24a)や、気分を温和にするセイヨウキョウチクトウ(オネアル:有毒植物)23b, 24b)、精神を錯乱させるトリュクノス23c), 24c)、精神疾患に対しては、ヘレボルム(ヘレボルス)23d), 24d)、憂鬱にはレタス23e), 24e)、タイム(ジャコウソウ)23f), 24f)などが知られていた(現在の植物との一致や効能の確からしさは不明である)。

余談であるが、アロエにブドウ酒を混ぜて頭につけると抜け毛の防止になるとして紹介されている23g), 24g)。また、ヤギの糞を焼いて酢または酢蜜と混ぜて塗ると禿頭とくとう病を治すとある25)。なかなかチャレンジグであるが、クレームはディオスコリデス(40頃―90年)に言うしかない。さらに、糞の服用の効果も記載されているが、やめた方がいい。このように、ある物(草花などに含まれているもの)が精神に影響を及ぼすことは既知であった。しかし、この時代に原子までも持ち出して論じるのは突拍子もない。

  • 1-4 ルクレティウスの魂についての考察

魂(ψυχή: プシュケー)についてルクレティウスは、「魂は極めて微小な原子(種子:アトム)から成り立っていて、血管、肉、筋肉全体に織り込まれているに違いない。精神と魂が肉体から離脱しても重量を全く減じないのは極めて微細な原子からできているからである」21e), 22e)と語っている。魂も物質が関係しているのだろうか?精神が物質と関係していることが科学的に明らかにされたのは、つい最近のことである。だとすれば魂も物質として捉えることができるかもしれない。ニュートリノや重力子のようなものは発見するのは困難であるが、物質に取り憑くとなれば、うまい実験系を考えると捕まえることができるかもしれない。DNA(RNA)や無機物の結晶構造を導く「魂」を見出すことができれば、生・命について理解が進む。

しかし、ルクレティウスの魂の捉え方はどうやら違う。ルクレティウスは「魂は精神と結合していて、肉体全体に広がっている21b), 22b)。先ず肉体の原子に運動が起こり、肉体の原子と混じている魂の原子が衝突して感覚を起こす21f), 22f)。魂は不死ではなく死滅する21g), 22g)」としている。また、「魂(精神)の本性(本質)は熱と風(息)と空気及びこれら以外の第四の性質がある。この第四の力は、名のない小さな物体で潜み隠れ、全魂中の魂として肉体全体(全身)を支配している」21h), 22h)。とある。この第四の性質(力)とは不明であるが、「最も微細にして滑らかな要素(アトム:原子)で動きやすく希薄で、最初に感覚を起こす運動を身体全般に起こす」21h), 22h)のである。これは、活動電位、いわゆる神経インパルスによる伝導を意味しているのか。すなわち、未知なるものとしての粒子=電磁波をイメージしているのであれば、全身を支配する、ということにすぐには結びつかないが、この時代に明らかにされていない電気という力・作用が、憶測ながら辻褄が合うように思える。

寺田寅彦 氏によるルクレティウスの魂、精神、心について、「私の読み得たところが誤りでなければ」26a)と断っておられるが、「心(animus)は支配者として胸の中枢なる心臓に坐し、精神(anima)は全身に分布して心の命令に従うもの。心も精神も人体の一部、部分である。心は脳に相当し、精神は心に従い、全身に広がる知覚並びに運動神経に相当するように見える」26a)とある。また「心の衝動によって精神が刺激され、これが肉体を動かす。物質的肉体を動かすものは物質でなければならない。故に精神、従って心も物質的のものでなければならない」26a)と解し、「魂」はほとんど出てこない(霊魂が肉体に入り込むとか霊魂の死滅の話程度)26b)。何かしっくりこない。

樋口氏らの訳をもとに類推してみると、繰り返しになるが「精神(animus)、魂(anima)の本質は身体の一部をなす」21a), 22a)、「精神と魂は相互に結合していて、それから一つの性質をつくる。頭として、全身を支配しているのは思考(意識とする)で、精神とか心とか称している。これは胸の中央にある。魂の他の部分は全身に分布して精神の意思に従って動く」21b), 22b)とある。寺田は「心」と「精神」を別々に訳しているが、他訳では「心」と「精神」は同じものとしている。また、anima:「魂」を「精神」と訳しているので混乱が生じてしまう。ものを動かすのは「精神」ではなく、タレスのいう「魂」(anima)と考えたい。 「魂の力よりは精神の方が生命に対して大いなる支配力を有している。精神(心)が残っていれば、人間は生命の中に在る。体躯が砕かれても、魂が肉体から離れて去っても、生きていて生命の呼吸(アイテールの風を吸い込む)をする21i), 22i)とりあり、生命にとって、魂よりも精神(心)が必要であると説く。これは、死は呼吸の停止であり、そうさせるのは魂ではなく、精神、すなわち魂を操る<物質>であることを意味している。・・・ルクレティウスは「魂」をそこまで軽んずるであろうか?前述したようにプシュケーの語源は「気息」、「呼吸」であり、ホメロスはプシュケー『魂』を生存している人間の場合『生命』の意味で呼んでおり(魂魄(たましい)は体を抜けて飛び去ると、身の運命を悼み嘆きつつ、若さと華を捨て去って、冥王の府へと赴いた)27a) 、「息」をする、「魂が口から逃げ出す」の意で用いられていた12c)。魂の存在を精神の役目とするであろうか。そもそも呼吸という運動を担うのは魂の働きのはずである。精神(心)が命令を出して魂が動く、精神の命令で呼吸(息)をするのであれば、魂が肺・口を動かすことになる。ここでは、魂と精神の立場の逆転・矛盾が生じている。本来は「魂」が精神を支配し、精神が去っても生きて呼吸をさせるのは「魂」ではないのか?ただ毒によって魂の動きを停止させることもできるのは確かだが。

しかしながら、ルクレティウスは「anima」と「animus」を混用していて、同じ意味であることもあり、魂「anima」が神経に該当する場合もあるとされる21j)。「ひとつの名前で魂と精神を一緒に考えてくれ。魂が死ぬものであると説く場合は精神も指している」21k), 22j)。自立神経の心臓はもとより、死に際の息の根(呼吸)は魂が抜けても惰性で続く、不随意的運動(代謝性呼吸)と理解すべきか。となれば、《意識(心・精神)によって魂は身体を動かす。意識があれば魂が先に去っても命(心臓の鼓動、呼吸)は残るが、やがて息絶え、精神(心)も去って死に至る》と考えてはどうか。思うに、精神を神経伝達物質とすると、anima(魂)はニューロンで、活動電位(インパルス)の伝導からアセチルコリンなど(神経伝達物質)の伝達により、身体を動かす役目を担う。魂は心(脳:意識・思考)により統括される。

*神経と筋肉を動かすのは気息か?アームストロングは、アリストテレスの気息を魂と肉体との間の物質的媒介者と位置付けている。「気息は心魂に含まれている欲求の運動の影響を受け、その作用を受けた肉体を動かす」16b)

  • 1-5 利根川進・・精神と物質

いつしか、利根川進 博士と立花隆 氏との対談書「精神と物質」を読んでとても感激したのを思い出した。研究内容はさておき、書き記す(一部改)。「人間の精神現象も含めて生命現象はすべて物質レベルで説明がつけられるか(立花)。そうだと思う。脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究することによって、人間の行動や精神活動を説明するのに有効な法則を導き出すことが出来ると確信している。人間の性格や知能、これらを基盤にした大枠は遺伝子群でかなり決められているが、偶然性が働く余地は残っている。それぞれが遭遇する環境が影響を与える(利根川)」28)。精神現象を含めた物質的生命現象は(DNAに記された)、決定論的現象として運命は既に決まっているという思考に陥りやすいが、救いなのは偶然性が残されていることである(今ではエピゲノムも知られるようになった)。さらに「もし、我々のブレインと異なる認識原理をもつブレインがあったとしたら、この世界をどう認識するかわからない。同じ認識のメカニズムのブレインを持ち、それによって同じコンセプトを持ち合わせているから、世界はこういうものだと同意しあっているだけ。つまり、人間のブレインがあるから世界はここにある(利根川)」28)と語っている。この対談の時代には既に、精神は物質に還元できるということは当然とされ、今では生物の脳ではなく、AIというデジタルなブレインが異なる認識のメカニズムとして登場し、世界を見つめ始めている。

  • 1-6 タレスの魂と神

タレスに話を戻そう。ものを動かしているのは、空想上の「魂」である。つまり、訳のわからない、説明のつかないことを、神ではなく魂としたのであれば、神との違いは何なのか?おまけに、『すべてのものに神々が宿る』とは、結局、神という超自然的なものを物理法則に当てはめるという思考から脱却していないのではないか。しかしながら、物体を動かしているのは【エネルギー】として捉えていたのであれば、魂として伝えられたのは誤謬であり、タレスの意図が正しく伝わっていなかった可能性がある。魂は力ではなく、いわゆるもの(・・)(原子)にやどり(憑依する)、<意識体>としてプログラムする(DNA→遺伝子、元素→結晶)意味であれば理解できなくもない。そうでなければ、同類としての神=魂である。

フリーマンによれば、「かれ(タレス)は一部のものから無神論者と呼ばれたが、神的なものと等しいとみた生命の力『魂』がどこにでもあることから汎神論者であると伝えられている」29a)とある。アウグスティヌスは「(タレスは)わたしたちがじつに驚嘆すべきものと認める、この世界という作品を()べるものとして、神の精神からおこるなにものも考えはしなかった」30a)と語っている。ウーム、話は長くなるが、フォイエルバッハによれば、「有神論者は神を理性の外に、人間一般の外に存在する、人格的本質(存在)として表象する。また、神を感性の立場から思惟する。光は人間にとつてのみあるのではなく、動物をも植物をも、無機物をも触発する(影響を与える)普遍的本質である。神はしかし、ただ人間の対象である。動物や星(他の星の生命体)は唯、人間の意味に於いてのみ神を讃えるのである⦅もし牛や馬やライオンが手を持っていたら、馬たちは馬に似た神々の姿を 牛たちは牛に似た神々の姿を描き、自分たちの姿と同じようなからだをつくることだろう⦆3b)。それ故に、神は人間以外の如何なる他の本質(存在)にとっても対象でなく、神は人間的なる対象、人間の秘密である、ということは、神そのものの本質である⦅人間たちは神々が‘人間がそうあるように’生まれたものであり、自分たちと同じ着物と声と姿を持っていると思っている⦆3b)。神的本質と人間的本質との同一性は、有神論の意識中にもある31a)。有神論を汎神論から別つものは、人格的存在としての神の想像、表象である。神を自然、又は人間の本質から区別しないところのものが汎神論である。有神論は神を世界の原因、()かも生きた人格的なる原因として、世界の創造者として、表象する(思っている)。(すなわち)神は彼(自分)の意志によって世界を創造した。神は物質を造った。しかし、物質は神ではない。むしろろ、神を否定するものである。物質を崇拝するものは無神論者である。汎神論は従って、有神論に無神論を、神に神の否定を結びつける。神は物質的な存在(本質)である31b)。『無神論』は『汎神論』の必然的帰結である。『無神論』は傾倒された『汎神論』である」31c)と述べている。この議論はクラーク・ライプニッツ論争(デカルトは、神は全知全能(omniscient)で完全なこの世を創った。理神論へ。ニュートンは、神は遍在(omnipresent)して動いているとし、汎神論へ)にまで発展しそうなのでここまで(不可知論もある)。ヘーゲルもタレスが神を信じたかどうかはどうでもよく、「重要なのは、絶対的な実在を哲学的にどう明確化するか」32a)とのお言葉は、凡人おきなの<神は魂なのか?>という憂いは、まったくのお門違いの愚念であった(魂はものを動かし自らも動くのである)。しかし、素人ながら、すべてに神が宿るのであれば人間も神であり、従って神はおらず、また完璧な世であれば神はいらない。

2. 水~大地は水の上に浮かんでいる

  • 2-1 始原物質の水

タレスは移り変わる自然をそれ自体は変わることのない始原物質(根源:アルケー)で説明する思想を提起し、万物の根源(原理)を「水」に求めている33a)。イェーガーは、「『万物は水によって生じた』という認識を比喩的な神話的な表現で表そうとはしていない」12a)、すなわち、水の存在、水からのあらゆるものの生成、そして回帰を神、神話と結びつけて語っているのではないということだ。なるほど。「タレスの水は経験的世界における眼に見える部分である。だが反面、事物の起源についてのこの洞察によって神学的な創造神話のそばにいざなわれるか、あるいはむしろそれらのものと争うようになる」12a)。ウーム、確かに古代の神話の世界では既に水、という神聖であり宇宙生誕の起源として述べられている。となると、誰かがその生成流転にみられる自然現象に気付き、それを神秘性に結び付けた人物がいた。

ヘーゲルは、その辺にある何ともない現実的であり感覚的な「水」について、哲学的な意味を我が腑抜けの頭脳に突き刺してくる。タレスは、水という物体、物理性、化学的性質を問うているのではなく、概念としての水32b)の提示にあるのだと、暗闇の中に光明を与えてくれる。もやもやとした(わだかま)りが消えてスッとした感じだ。ヘーゲルによると「水は形なき単一のものという性格をもつ。普遍的存在としての水がとらえられている」32c)という。「一なるものが真なるものである」32d)という命題。水は一なるものであり、水からすべてのものが生じ、ふたたび水にかえるという哲学的思想。周りを見渡すときに、無生物としての水、空気、火、土は自然である。空気はどうか。見えない。感じることができても、形はわからない。水の一形態(蒸気・希薄化へ)32e)である。火はどうか。見て感じることができ、熱があり、水にエネルギーを与える。形はない。また水に消される。土は動かない。水の一形態(沈殿:濃厚化へ)32e)である。水は動く。見ることができ、感じることができ、冷たくも熱くもなる。また形はない。大事なことは、目に見える、動く、生体に入る、触れる、熱の変化、溶かす、混ざる、形の流動性、生成も消滅もしない不変物。これに叶うのは水であった。また、「水が原理だ、というタレスの命題は哲学的である。そこに哲学の始まりがあるというのは、それが、一なるものこそ本質であり、真理であり、完全無欠なものであることを意識させるものだから」32f)と述べている。

多様なものにもその元となるものがある、それは何か。例えば、多様な生き物がいるが、生物に共通しているものはDNAである。では、自然についてはどうか。現代でもそれを示すことはできない。岩崎は「多様なものは、元来そのままのものではなく、何か一なるものの変容であり、その一なるものは(それ自身が運動している)水であろう(とタレスは考えた)」29b)と解説している。

  • 2-2 水と神話

タレスがアルケーを‘水’に求めたことについては、ひとつにはエジプトやバビロニアの古代の神話的な宇宙観から得たとされる5e)、13b)。しかし、既に述べたように、タレスは創生における水の神話は頭にあったにせよ、神話に結びつけて水を語ったものではない。「神話においては、物質に運動(変化)をもたらすのは神々であった。タレスが見出す始原物質は、自ら運動するものである(水は自ら運動すると考えた)」7b)

宇宙創生において、インド、リグ・ヴェーダ(第10巻129)には「その時、無もなく、有もなかった。何ものが活動したのか。どこで、だれの庇護のもとに?深くて測り知れぬ水は存在したのか?」34)とある。

バビロニアの創世記のエヌマ・エリッシュの物語では、「上ではまだ天が名づけられず、下では地が名をよばれなかったとき、はじめに神々の父神、アプスー(Apsu: 淡水の男神)と、神々のすべてを生む母神、ティアマト(Tiamat: 海水の女神)が 互いの水(海の塩水と地下の深淵の淡水)を一つに混ぜ合わせたが、草原は結ばれず(生じず)、葦原(あしはら)(葦の繁る場所)は探せなかった。神々は、いまだ創られず、名も呼ばれず、天命も定められなかったとき、二神の間で神々が形づくられた」35)と、その後壮絶な物語は続く。エア神(大地の神:エンキでもある)はバビロニアで最も神聖とされる水の神、深淵な神で、賢明な全能の神であるとされる36a)

創世記「はじめに、神は天と地を造られた。地はむなしく何もなかった。やみは深淵しんえんの上にあり、神の霊は水の上をおおい動いていた37)(始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた、暗黒やみが原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていた)38)」における諸元の水の存在。

イェーガーは「神々に充ちている― ホメロスの語るオリュンポス山などに居る神々ではない。タレスの神々は世を離れた近づき難い場所にいるのではなく、存在するものはすべて―まったく身近な、我々を取り巻くこの世界―「神々」に充ちているのであり、これらの力の諸々の作用によっている。これらの力の諸作用は眼によって見られものであり、手でもって把握されるものである」12d)と記した。なるほど、神の存在は天高くの見えざる神ではなく(この時代にはこのような神はいない)31e)すぐそこにいて見て触れられる、ものを動かすことができる未知という意味での神、その力の存在としての魂である。

ともすれば、<水>は神の存在が幻影のようにまとわりつくが、タレスは神と決別し(自然の神話からの解放)29c)、ものの本質を科学的にとらえとうようとした。神が水を動かしているのではなく、生命、身体に宿る源としての水であり、それはそれ自身で動いているとする科学思想として現した言葉である。

  • 2-3 水に求めたのはなぜか

アリストテレスは、すべての存在(事物)のもと(構成要素:元素)についてタレスが水であるいう見解に至った理由として「おそらく(・・・・)、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱いものさえもこれから生じ またこれによって生存しているのを見てであろう。またすべてのものの種子は水気のある自然性をもち、そして水こそは水気のあるものにとってその自然の原理であるという理由からでもあろう。遥か古い昔に、初めて神々を語った人々もまた、自然について同じような見解をもっていた。すなわち、オケアノス(大地をとりまく大洋の神)とテテュス(妻)とを万物生成の父母とし、また神々の誓約にはステュックス(本来恐ろしい誓いのしるしに用いられる、地下の冥界を流れる川27b):オケアノスの娘39a))という水に対してなされた」と記している3c), 6a)。このアリストテレスの推測が主に生理学的性格をもつことから、ヒッポンの議論から得たものであろうとも言われている11b)。ここで見逃しがちなのは神々がなぜ水に誓いをたてたのかである。ヘーゲルの説くこの<ちかい>について31b)、{ちかうとは最善のものが証人となる。 自分の確信が絶対に間違いないと明言する上での真なる対象が水であった}と理解した、のだが。

ヒッポリュトスはタレスの思想について「水が万物のアルケー(始原)であり、かつテロス(終わり)であると唱えた。なぜなら、水が凝固し、また溶解することによって、そこから万物が構成されるからであると言う。また万物は水によって運ばれているからとも言う。地震も、風も星々の運行もそれから生じているのである。万物は揺れ動き、流動している。それは万物の生成を司る第一原因の水の本性に従って、一緒に揺れ動いているからである。これこそが、始めも終わりも持たない神である」15c)と述べている。さすが、ヒュポリュトスは水を神にしてしまう。

ちなみに、水が原因(水文学的負荷:hydrologic load)となって地震を誘発する可能性が知られており、最近ではカリフォルニアの地震が湖(ソルトン湖:Salton sea)の水位の変動に起因しているのではないかと推測されているnature)。タレスの考えでは「大地が水の上に浮いていて(大地は木とか、あるいはなにかそういったほかのものと同じように浮くものとして静止している)40a)、浮かぶ船が波立つときに揺れる」5f), 13b)とのことである。なるほど、神話であった「水の創生」から、自然現象としての「水」として思案したことが、革命的であったことが分かる。繰り返すが、タレスが水を始原としたことについて、岩崎は、「万物は多様(多)であり、さまざまに運動・変化(或るものから他のものへの移行:生成・消滅、増大・縮小など)しているが、この多と運動ということのよって来たるもと(・・)()もの(・・)は水であるとした。そのさい、神々を議論にもちださないことが、タレスの思考の前提」29d)としている。タレスが水を根源と考えた、もうひとつの見解は、「気象学的(・・・・)な考察から、水、氷、蒸発という三相という転換があり、自然界のあらゆるもののなかで水がもっともよく様々な形態をとって流動し、運動しているのがみられるから」11b), 29d)とされる。・・・奥深い。

雑談

まあ、どう考えようと種子に水を与えると発芽してくるし、植物に水を与えないと枯れて、水を与えると萎れた草花は生き返る。生物は水を求め、水がないと干からびてしまう。水が大事だと誰もが思う、という単純なことであろう。水のもつ力、命を与え滅ぼす力を、ものの根源と考えたに過ぎないと勝手に想像するが、これでは『知恵の愛』にならない。いつの時代においても水なしには生きられない。災害で困ることは断水と停電である。***いつも勝手に世の中を考えるエンターテインメント風のささやきです。哲学者、詩人ではありません***<Not made by ChatGPT>

ターレス よろずのものは水から出来あがったのだ。よろずのものは水で保たれているのだ。大洋よ、お前の永遠の支配をつづけてくれ。お前こそ生き生きした生命を保たせてくれるのだ。反響 お前からこそ生き生きした生命が湧き出すのだ。 – 登場者一同 なさけに厚き風よ、幸あれ。不思議を秘めたる岩屋よ、幸あれ。この世にあるもの、みな(まつ)らばや、地水火風の四大をみな。 ゲーテ『ファウスト』(相良守峰 譯) 41)

タレスは、「死は生と違うところはない」と言った。「では、なぜお前は死のうとしないのか」と問うと、「生きていることと違わないからだ」と答えた8b)。。。(・ω<)

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この絵は”Vienna Dioscurides”(ディオスコリデス)の挿絵(512頃:ウィーン写本)を基に創作した。椅子に腰かけているのは、ヒトに数学の知恵を授けたマヤのゼロ神である。マンドラゴラ(Atropa mandragora: Mandragora(s):マンドレイク)を持っているのはヒトに生活の知恵を授けたホモ・クロウ(Homo crow O.)である。マンドラゴラは畑から引き抜かれて細根(側根)をつけている。シトラルテミニの可能性も否定できない。。。(かなえ)にはタレスの名が刻まれている。

参考・引用文献

1)ゲーテ.フアウスト.第二部.第二幕 . p. 185, p. 187.森 鴎外(森林太郎)譯.白玉書房.1969.

2)B. ファリントン.ギリシヤ人の科学(上).出 隆訳.岩波書店.1956.2a)第二章.イオニアの夜明け.p. 45. 2b)同. p. 43-45.

3)ソクラテス以前哲学者断片集.第Ⅰ冊.内山勝利 編集.内山勝利・国方栄二・藤沢令夫・丸橋 裕・三浦 要・山口義久 訳.岩波書店.2000. 3a) 内山勝利 訳. 第Ⅱ部 紀元前6世紀・5世紀の哲学者たち.第11章 タレス(A)学説17a, 17b. アエティオスp. 154、3b) 藤沢令夫・内山勝利 訳.同.第21章 クセノパネスB. 著作断片. クレメンス.p. 273-274 、3c)同. 第11章 タレス(A)学説12アリストテレス p. 150-151

4)プラトン.プラトン全集1.エウテュプロン・ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン.今林万里子・田中美知太郎・松永雄二 訳.岩波書店.1980. 4a) ソクラテスの弁明.田中美知太郎 訳p. 75.

5)G. S. カーク, J. E. レイヴン, M. スコフィ-ルド.ソクラテス以前の哲学者たち(第2版).内山勝利・木原志乃・國方英二・三浦 要・丸橋 裕 訳.京都大学学術出版会.2011. 5a) 内山勝利 訳. 第2章 ミレトスのタレス .Ⅸ. 宇宙論.脚注 19)p. 128、5b)同. p. 125-127、5c)同. p. 129、5d)内山勝利 訳.第15章 原子論者たち.Ⅶ. アトムのふるまい  (c)物体の形成 p. 535、5e) 第2章ミレトスのタレス. p. 122-124、5f)同. 脚注14)p. 123

6)アリストテレス全集 12.形而上学.出 隆 訳.岩波書店.1968. 6a)第1巻第3章(983b) p. 14-15.

7)柄谷行人.哲学の起源.岩波書店.1997.7a) 第3章 イオニア自然哲学の特質.2 運動する物質 :p.97-104、7b)同p. 98-99

8)ディオゲネス・ラエルティオス.ギリシャ哲学者列伝(上).加来彰俊 訳.岩波書店.1990. 8a) 第1巻 第1章.タレス. (二四)p. 29-30、8b)同. (三十五)p. 38

9)アリストテレス全集 6. 霊魂論 自然学小論集 気息について.山本光雄・副島民雄 訳.岩波書店.1968. 9a)山本光雄 訳.霊魂論 第1巻 第2章 (405a): p.13、9b)同. (411a) p.34、9c)同. (405b) p. 15、9d)同. (412a3,b, 413a)p. 38-41、同訳者解説. 三 霊魂の定義. p. 156-159、9e)同. 第1巻第5章(409b)p. 29、9f)副島民雄 訳.自然学小論集.第六章. p. 295、9g) 霊魂論 第1巻 第2章 (404a) p.9、9h)自然学小論集.第三章. (469a)p. 291、9i)同. 第十七章(479a)p. 323.注) 副島民雄 訳.気息について.訳者解説p. 406;本編は偽書ともされる.

10)プラトン全集13 ミノス 法律.向坂 寛・森 進一・池田美恵・加来彰俊 訳.岩波書店.1981. 10a)加来彰俊 訳.法律.第十巻 九(899)p. 624、10b) 第十巻 七、八、九(896-899)p. 609-624. 10c)十二(903-905): p. 635-641.

11)ジョン・バーネット.初期ギリシア哲学.西川 亮 訳.以文社.1975.11a)第1章 ミレトス学派.一 タレス. 11 神についての説. p. 79-80. 11b)同. 10 水. p. 77-78.

12)ヴェルナー・イェーガー.ギリシャ哲學者の神學.神澤惣一郎 譯.早稲田大学出版部.1960.12a) 第二章ミレトス自然哲学者の神学.p. 27、12b)第五章 霊魂の神聖さに関する教説の起源.p. 105-114、12c) 同.p. 105-107、12d) 第二章ミレトス自然哲学者の神学.p. 28.

13)J. V. ルース.ギリシャ哲学入門.中西裕一・渡辺きみ代 訳.駿河台出版社.1997.13a) 第1章. イオニアにおける哲学のおこり. タレス. p. 25、13b) 同. p. 24.

14)プラトン全集12.ティマイオス クリティアス.種山恭子・田之頭安彦 訳.岩波書店.1981. 14a) 種山恭子 訳. ティマイオス.八. C.  p. 40-41、14b) 同. 八・九.p. 41-46. (p. 43. 註釈の図参照 )

15)ヒッポリュトス.キリスト教教父著作集 19.全異端反駁.大貫 隆 訳.教文館. 2018. 15a)第1巻.倫理哲学者 プラトン(十九)p. 84-88、15b)同. 弁論哲学者 アリストテレス(二0)p. 88-90、15c) 同. 自然哲学 タレース(一).p. 67.

16)A. H. アームストロング .古代哲学史.岡野昌雄・川田親之 訳.みすず書房.1988.16a)第九章 アリストテレス(三) 四.p. 125、16b)同八. P. 133.

17)アリストテレス全集 9.動物運動論 動物進行論 動物発生論.島崎三郎 訳.岩波書店.1969. 17a)動物発生論.第3巻 第11章.762a. p. 237、17b)同.訳者註 (15), (16): p.388.

18)高井 研 編.生命の起源はどこまでわかったか.第2章 地球生命はこうして生まれた 地球における生命誕生は‟必然“である p. 74-77. 岩波書店.2018.

19)平田 寛.世界古典文学全集21.月報(15).ルクレティウスの周辺と伝統.p. 5-8.筑摩書房. 1965.

20)納富信留.ギリシア哲学史.筑摩書房.2022.20a)第Ⅱ部.初期ギリシア哲学.E イオニアでの自然哲学 第14章 レウキッポスとデモクリトス.p. 298、20b)同. C イオニアでの探求.第1章 タレス.p. 118-119.

21)ルクレティウス.物の本質について.樋口勝彦.岩波書店.2020. 21a)第3巻. (117-135)p. 118、18b) p. 121、21b)(136-160)p. 119-120、21c)(161-176)p.120、21d)(177-207)p. 120-121、21e) (208-230)p. 122、21f)(370-395)p. 128-129、21g)(593-594)p. 137、21h)(231-287)p. 122-125、21i)(396-407)p. 129-130、21j)同. 註1.  p. 115、21k)(421-424)p. 130-131.

22)ウェルギリウス ルクレティウス.世界古典文学全集21.泉井久之助・岩田義一・藤沢令夫.筑摩書房.1965. (ルクレティウス 事物の本性について.第3巻.岩田義一・藤沢令夫 訳).22a)(117- 131)p. 337、 22b)(136-146)p. 337、22c)(161-176)p.338、22d)(177-207)p. 338、22e) (208-230)p. 338-339、22f)(370-395)p. 341-342、21g)(578-589)p. 345、22h)(231-287)p. 122-123、22i)(396-407)p. 342、22j)(421-424)p. 342.

23)プリニウス博物誌 植物薬剤篇.大槻真一郎責任編集.八坂書房.2009. 23a)Ⅷ 薬効のあるその他の植物 (第27巻) 44[68]. ククルス.p. 439、23b)Ⅶ 身体各所の病気に効く薬草(第26巻)69 [111]. 不眠症の薬草パナケス、クリュメノス、アリストロキア、アイゾウム、オノテラ(オネアル)など.  p. 400、23c)Ⅱ 花と花冠(第21巻)105[177]-[182]. トリュクノス.p. 130-131、23d) Ⅵ 薬草の効果(第25巻)21-25 [47]-[61]ヘレボルム.p. 319-324、23e)Ⅰ 野菜の薬効(第20巻) 24[58]-[68]レタス.p.17-20、 23f)Ⅱ 89[154]-[157]. タイム.p. 123-124、23g)Ⅷ 薬効のあるその他の植物(第27巻)5[14]-[20]アロエp. 423-425.

24)プリニウスの博物誌.中野定雄・中野里美・中野美代 訳.雄山閣.1986.24a)Ⅲ 第27巻[68]44. イヌホオズキから六種.p. 1140、24b)Ⅲ第26巻 [111]69. 不眠症の薬セイヨウキョウチクトウなど.  p. 1115-1116、24c)Ⅱ 第21巻 [177]-[182]105. トリュクノスから八種. p. 945-946、24d)Ⅱ 第25巻[47]-[61]21-25. ヘレボルスから三種、黒ヘレボルスから二四種、白ヘレボルスから二三種、いつ与えるか、どういう患者に与えてはならないか.  p. 1063-1066、24e)Ⅱ 第20巻[58]-[68]24-26. レタスから、その他レタスから、ヒエラキオンから十七種. p. 873-875、24f)第21巻[154]-[157]89. ジャコウソウから薬剤二八種.p. 941、24g)Ⅲ第27巻[14]5. アロエから二九種.  p. 1130-1131.

25)ディオスコリデス.  薬物誌.岸本良彦 訳注.八坂書房.2022.  25a)第Ⅱ巻. 80糞. p.136-137

26)寺田寅彦.寺田寅彦全集 第5巻.岩波書店.1997.26a) 随筆 五  科学1.  ルクレチウスと科学 三.p. 176、26b) 同p. 178.

27)ホメーロス.世界古典文学全集1.呉 茂一・高津春繁.筑摩書房.1969.27a)イーリアス. 第十六巻(856-857)p. 210、27b)同.第二巻(754-755)p. 32

28)立花 隆・利根川進.精神と物質.文藝春秋.1990. 第八章「生命の神秘」はどこまで解けるか 自我はDNAの自己表現.p. 254-261.

29)岩崎允胤.西洋古代哲学史[Ⅰ] ギリシア・ポリス社会の哲学.未來社.1994.29a)第1章 初期のギリシア哲学Ⅰ. イオニアの哲学. 1ミレトス派(1)タレス p.67(K. Freeman. Companion to the Pre-socratic Philosophers, 1949.p. 54)、29b)同. p. 64、29c)69-70、29d)同. p. 61-62.

30)アウグスティヌス.神の国(二).服部英次郎 訳.岩波書店.1998. 30a)第8巻 第二章.p. 150.

31)フォイエルバッハ.將來の哲學の根本命題 他二篇.植村晋六 譯.岩波書店.1930. 31a) 將來の哲學の根本命題 7.  p.45-48、31 b)14. p. 60-65、31c) 哲學改革への提言. p. 5-7.(参照:同書.村松一人・和田 楽 訳.2017)

32)ヘーゲル.哲学史講義 上巻.長谷川 宏 訳.河出書房新社.1992.32a) 第1部 ギリシャの哲学.第1編 第1章  A、イオニアの哲学 一、タレス.p. 172、32b)同. p. 165、32c)同. p. 166-167、32d)同p.168、32e)同p. 169、32f)同p. 167.

33)山本義隆.磁力と重力の発見.みすず書房.2003.33a)1 古代・中世.第1章 磁気学の始まり 古代ギリシャ.1 磁力のはじめての「説明」. p. 18-19.

34)上村勝彦.インド神話.p.38-39.筑摩書房.2017.

35)バビロニア創世叙事詩 エヌマ・エリシュ.月本昭男 訳.第一書版. 2022. p. 8. ぷねうま舎

36)松村武雄・中島孤島 編者.バビロニア・アッツシリア・パレスチナの神話伝説,世界神話伝説体系5.名著普及会.1979. 36a)中島孤島 編.バビロニア・アッツシリアの神話伝説.Ⅰ古代バビロニアの神々. p. 3. 

37)聖書 創世記.第1部 世界と人間の起源.第1創造史 宇宙の創造.  p. 30. フランシスコ会聖書研究所 訳注者.中央出版社.1958.

38)創世記.一 創造 イ祭司資料の創造記 第1章.p. 7. 関根正雄 訳.岩波書店.1956.

39)ヘシオドス.神統記.廣川洋一訳.岩波書店.2021. 39a)(361-362、383)p.48、p. 51.

40)アリストテレス全集 4.天体論 生成消滅論.村治能就・戸塚七郎 訳.岩波書店.1968. 40a)村治能就 訳.天体論.第2巻 第13章(294a)p. 90.

41)ゲーテ.ファウスト.第二部.第二幕 . p. 256-257, p. 259.相良守峰 訳.岩波書店.1958.

42)時田郁子.ホムンクルスの秘密 ― ゲーテ『ファウスト』第二部第二幕.ヨーロッパ文化研究.号 38. p. 91-116.成城大学大学院文学研究科.2019.

43)石倉小三郎.ファウスト解説.p. 347.厚光文社.1955.

参考・引用文献中にある誤植等

1)ゲーテ.フアウスト.森鷗外 譯 (7972)p. 163. マンドラゴラ(Mandragola:誤)・・・Mandragora(正)

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