スマホは1234567890
TP:スマートホンをみると、数字は1234567890となっている。パソコンのキーボードもそうであるから昔から知っていた人は多いと思う。これまでも書いてきているが、過去の表記によるものであろう。世界では最初は0がなかったので当然1~9までの数字しか使っていない。インド-アラビア由来の数字1~9がヨーロッパで最初に記載された写本(Codex Vigilanus)が見つかったのは976年である(スペイン.アルベダ修道院)。この頃もまだ1~9までの数字である。12世紀になるとゼロを意味する数字が書物に記載されるようになった。15世紀のラロッシュ「算術論」の中で「10番目の数字はそれ自体では何の数値もない」と書かかれており1)、0が始まりではない。15世紀以後の活字を見ても1~9の後に0が書かれ、20世紀においても0が最後である。もちろん、スマホを見ての通り、我々の21世紀でも同じである。0は始まりではなく、9の後ろである、数でいうところの、指を折って数えるなら10番目、10個目、である。すなわち、存在の無い0を存在を有することを示す(現す)ためにあえて0という位置づけを行ったのである。無から有は生まれないという哲学である。つまり、0はここでは10である。
普通の人がふつう数(かず)を数えるときに1から始めるのが普通であると思われる。フツーというのは難しいが、3.14から数えることや大晦日やロケット打ち上げのカウントダウン以外ではあまりない。ちなみに、海外のアナウンサーがTマイナス1の後にゼロと発声したのは聞いたことがないように思う。この話はさておき、もし0から数え始めると間違ってしまうからだ。年月のはじめは1月、1日、欧米は0時ではなく12時から1時となり、西暦の紀元1年の前年は紀元前1年である(ゆえに西暦は1~100までを1世紀。2001年宇宙の旅である)。つまり、0から1の間に存在するのもがあると考える。よく、ある数を引き算で求めるときに、1を加えるのか、1を引いて計算したほうがいいのか迷うときがある。これは、0という存在が邪魔しているのではないかと推測する。脳が勝手に0に存在を与えてしまうのだ。例えば、ヒトの年齢である。今は生まれた時を0として、0歳という。1歳になるまでにその期間は存在していることになる。0は無ではないことを体感して育ち、育てているので、混乱してしまう。1歳をスタートとしていないために、5歳は生を受けてから5年を意味している。合理的だが、つまり、0から数えなければいけないものもあるということである。この世に存在し始めた時からの数え方は0からである。この場合の0は無ではなく、0よりも大きい数を意味している。小数点が内在しているので、0.001なのか、0.3なのか、1よりも小さい。ここで混乱を招くのは小学校1年生(社会人1年、1年目)など、学年を呼ぶときには0年生ではなく、1からスタートすることである。すでに0から1年までを含めて考えている。なぜ0年生としなかったのか不思議であるが、これは数え年(East Asian age reckoning)があったことからなのかもしれない(おそらく正確な情報があると思う)。ちなみに、東洋の数え年は母親の胎内にいるときに生命がスタート(0)しているという考えのようである。まあ、4からスタートする年度は厄介だが、桜が咲くから気分がいい。
このささやきを書き始めた途中から別のささやきが頭をよぎった。それは脳の中をカラスが飛び回り、別の世界に誘い入れているようであった。数についてはまた別の機会にしよう。勝手な思いつきと暇つぶしのささやき ↢∻↢↢ おきな ↢∻↣↣
参考図書
1)ジョルジュ・イフラー.「数字の歴史」.松原秀一・彌永昌吉 監修.彌永みち代・丸山正義・後平 隆 訳.平凡社
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