0はあるのか(1)

おきなの勝手なエンターテイメント。

0は何もないことを意味する数ではない。ゼロ(れい)は存在するものを意味する数字である。

Tp: 前回まで、1は最初に決めたときの1以外はなく、次は1らしいもの(1’と表す:1≠1 and 1’≠1’)であると考えた。今度は1-1を考えてみると、左の1が右の1より大きい場合。これは視覚的に大きくてもよいし、太くてもよい。答えとしては「ある」となる。また、逆の場合は、1-1=有。「ⅰ」であったり、「1より小さいが有る」となろう。「i」は左の1が右の1’に壊されている状態である。式としては1-1’=〇(オー)またはe(Energy)。表記が極めて難しいが、1-1’=〇、1ーゐ=e、1★ゐ=eなどが候補であろう。逆に左の1が右の1より小さい場合は、1-1=有。意外であるけれども、ゼロ(虚無)やマイナスという世界は数字的にも世の中にも存在しない。なぜなら、左よりも大きい右の1が左の小さい1を引いたとしても残るからである。物質として、数字として。ちなみに温度のマイナスは勝手な創作である。物質的に理解するのは簡単である。左の1と右のは違うものであるから。生活の中で引くということの理解はかなりの困難を伴う。財布の1円をチョコレートを買うために使ったときの残りのお金は何円であるか。0円と思いたいところだが、財布の中にあるお金は、移動しているが1円は存在している。財布の中はどうなっているかというと、使ったので1円というものはなくなっているが、引き算によるものではない。1円をチョコレートに変えたのである。1交1’=1’。トレードである。1円はどこかにある。形は崩壊しても何らかの物質・エネルギーになっているであろう。では、引くとは何か。2’円のうち1円を寄付したときに残りは何円か。1’円。全財産1円から2’円を寄付すると残りは何円か。寄付できないと思っては間違い。万一寄付したとしたら、マイナス1’円と思われがちだが、払えたのであれば〇円である。空隙も、マイナスも存在しない。どこかに有るのである。量子真空(Quantum Vacuum)を持ち出すまでもないが。

・・・つづかない。これがブログの定めなのか。ないものがあるということを証明することはあるものがないことを証明するのと同じであるのか。あるものがなくなることはなくならないのではないかということで考えてみたい。<ご注意>勝手な空想物語で学術的な論争を挑むものではありません。我思うゆえに1089(!)。~おきな~

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